LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

祈りのように <226/365>

数えで100歳になられるという瀬戸内寂聴さんと、84歳の横尾忠則さんの往復書簡を読み、しびれた。ひたすらに、自分をまっとうし続ける人にはかなわない。その在り方の元では、人生の中の苦楽、すべてがその栄養となるのだろう。酸いも甘いも、失敗も成功も同じこと。どんな経験をしようと、どんな巡りあいがあろうと、肝心なのは、それをどこまで受け止めるかだ。受け止めたものを育む、まっさらで、豊かで、可能性に満ちた広い「土壌」になりたいと思った。

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わたしはいつも空ばかりみている。
太陽に憧れている。
この世界の、最も光なきところに光を。それてあまねく照らし出す、太陽に憧れている。
だけど今日は「土壌」になりたいと思った。最も低く、最も穢れに近くありたい。そして、なんだか知らないけど涙が出た。

自らの穢れについて…
何を逃げているのか。隠しだて、それを世界のあらゆるところに映す。他者に映しては、分け隔て、嫌って、自分を守ろうとする。そんな自分の有り様よ。こんなにも愛なき自分よ。ごめんね、みんなごめんね。自分にもごめんね…そして、まるごといとおしい。
わたしはわたしでよかったなぁと思う。わたしにとって、世界でいちばん手強いのはわたしだから、おかしな表現だけど、このわたしという存在を、完膚なきまでに、理解し、愛し、しあわせにすることに、人生のすべてをかけても不足はない。あまりあるほどだ。

寂聴さんの言葉で、いちばん印象に残ったのは「私の心の汚さが死体にあらわれても、あきらめます。私はたぶん、今年、死ぬでしょう。百まで生きたと、人々はほめそやすでしょう」というものでした。
ほんとうの美しさは穢れないことではなく、自らの穢れを知っていることと、それを赦す姿だと思いました。
それは祈りのように。