LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

命は自粛しない <227/365>

東京は昨日とは一変、さむーーい日。

うちのビルは給湯器がなぜかベランダにあって、水場から距離があるせいか、あの時間が長いのだ。あの時間とは「シャワーでも浴びよう♪」と蛇口を開いてから、熱いお湯が出るまでのロスタイムのこと。

息子は云う。「キムタクとかミック・ジャガーも、お湯が出るまでの時間を裸で待ったりするのかな」と。
それはどうだろう。おそらくキムタクは24時間入れるお風呂、ミックはセントラルヒーティング&ジャグジーなどを所有しているのでは…(ちなみにうちはユニットバスなので滅多にお風呂に浸かれないの…)
でもそうだよね!同じように生きているんだもの。どこかのタイミングでは、同じようなロスタイムを味わっているのだろうね。誰しもが生活の中で「早くお湯出ないかなー」と待っていると思うと、なんだかかわいい。まったく人類ってやつは…かわいくて、いたましい。そしていとおしい。

今日はお休みなので引きこもる。
コロナ自粛とは関係あるようなないような。もともと冬は引きこもりが好きなのだよ。
今、東京都心は深夜でこそ、ゴーストタウン的になるけれど、昼間はふつうの人混みである。満員電車も健在。土日の渋谷はショッピング&カフェを楽しむ人たちでいっぱいだ。正直なところ、日本人のDNAは、コロナウィルスにあんまり危機を感じていないのでは…?と思ったりする。
情報過多になったり、考えすぎると不安になるけど、体そのものとか、自分の「野生」はちっとも怯んでない。「寒さが堪えるからおとなしくしていよう。春を待とう」ほんとうはそんな軽い感じでいいような気がする。「なんか新種の流行り病が出てきたらしいし、おとなしくしとこう。手を洗ったり、体を大事にして、暖かく過ごそう」くらいの感じが、生き物として丁度よくて、健在な感じがする。

こういうことを書くとコロナで大変な想いをしている人もいるのに不謹慎だと言われるリスクがあるけれど、その種類のリスクを避けようとすることは、コロナ禍特有の窮屈さ、重さ、怖れと同じ匂いがする。

どんな時もそうだけど、今こそ、自分の感性を全開に生きて、この時期だからこそ感じられること、できることを思いきり味わいたいと思う。

命に自粛なんてないんだぜ!
今日もひたすらに燃え上がるのみ。