LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「生きている」そのかけがえのなさよ! <73/365>

仕事に行きたくない指数7.5(MAX10)の朝、いつものように出勤するととつぜんの自宅待機を命じられる。2日間の職場閉鎖ですって!

こんなふうにあたり前に続いていた日常が、前触れもなしに変わったり、終わったりすることがある。
そういうとき、わたしは「死」のことを思う。
いや、そういうことがなくても、実は、毎日、ふつうに「死」のことを思っている。

なんかちょっとあぶない感じがしてしまうね!死にたいとか思ってる訳じゃないのでご安心を(笑)


わたしは生きていることが大好きでたまらない。
過ごしていく今の一瞬一瞬を、とてもかけがえがなく、いとおしいものだと感じている。
そう思うようになったのは、この「生」が有限であると知ったからだ。

「知った」というのはおかしいか...子どもの頃からずっと知っていたことだもんね。
「頭ではわかってる」と言い方があるけど、まさにそんな感じだったと思う。

「頭でわかってる」とき、そこには無意識な「意味づけ」があふれている。
たとえば「死」は、悲しいこと、不幸なこと、いまわしきこと、怖いこと、ぜったいに避けるべきもの、等々。
我らが生きものである限り、身体の一部である頭、思考は「死」を敵のように思うのはとても自然な「意味づけ」だ。

ほんとうにわかる、知る、という状態には「意味づけ」がない。
それは、すごく透明で、ニュートラルだ。
「意味づけ」している自分を外側から、客観的にみているような感覚になる。

その状態でみたとき、「死」は、いいものでも悪いものでもない。
「生きとし生けるものにいつか必ず訪れること」それ以上でも以下でもないのだ。

ちょうど1年くらい前、雷に打たれるようにそれを実感してからずーーっと、わたしは「その視点」(いつか死ぬんだなーという実感)と共に生きるようになった。
それからわたしのすべては大きく変わって、変わり続けている。


コロナの出現は、わたしにとって大切な変容のプロセスを超絶なタイミングでサポートしてくれた。
生きものとして、頭では怖いよね。死ぬかも知れないし。苦しいかも知れないし。どうなるかわかんないしさ。ものすごく怖くて不安だよね...!!!

コロナにかかって死ぬかも知れない。そして、コロナじゃないことで死ぬかも知れない。とにかくいつかは死ぬんだよな。大好きな人、物、場所、そして、自分の身体、自分の人生といつかお別れするんだよな...ああ、なんて切ないことなんだろう!と思う。

あとどのくらい残り時間があるか知れないこの人生の中で、
もうわたしは「ほんとうにやりたいことをやる!」と思うようになった。

「ほんとうにやりたいこと」というのは、毎瞬毎瞬を全力で大切にすること。惜しみなく命を燃やすこと。人として真心をつくすこと。そして、全開で愛することだ。


今日はとつぜんの職場閉鎖から、コロナに対してわたしが思っていることを書きたいと思った。
誤解を怖れずにいおう。大切なことを学ばせてもらっているよ。ありがとう、コロナよ。