LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「あたり前」な日々の正体 <107/365>

今日、帰りの電車がかなり強引に急停車して、平和だった山手線の車内が一気におおおーーあぶねーーーと騒然とする。
そうだよね、電車に乗ってぼけーーっとスマホをながめていれば、うちに帰れると思っているあたり前という名の「しあわせ」よ。こういう事故で思いがけずに死んでしまって2度とうちに帰れないこともあるんだなぁ...と思った。

帰ったら3日目のカレーを食べようと思っていたのになぁ。それからいつものように日記を書こうと思っていたのに...ほんとうにそうなったら日記よりも、カレーが悔やまれる可能性が高し。ていうか、もう二度とカレー食べられないとか、マジかー…それからいつものおうちの匂い、床の感触、肉体労働系の二人がテーブルを囲んで黙々とビールを飲んだりする濃厚な家族の空気の中に、わたしはたまらなく帰りたいと思うだろう。
あたり前はその手を離れてしまった途端に、極上の「しあわせ」になる。それが正体なのだ。

わたしはこうやって遊びながら「死」の感覚をリアルに垣間見ることが好きだ。
みんないつか死ぬ。そして、それはいつかわからない。そのことを忘れないで生きることはものすごく贅沢なことだと思う。

ところがこの間、偶然みた通りすがりのブログの冒頭に、
「※閲覧注意!死に関する話題が出てきます」と書かれていた。
なんだなんだ???と思ったら、文章の中に「もういやだ...死んでしまいたい...!」とかいう下りがあった...これか?
なんだかよくわからないけど「死に関する話題」は、人を不快にさせるのだろうか。大切な誰かをなくした悲しみを想い出させたりするからだろうか。それとももっとおごそかに扱うべきテーマだからなのか。

とにかくわたしは、「ああ...うちに帰ってきたわ!帰ってきたのねーー!!」と部屋中の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、偽フローリングの床をアルプスの少女ハイジのように裸足でかけまわり、よろこびいっぱいに、念願のカレーを食した。世界でいちばんおいしかった。しあわせだ...やばいほどのしあわせ...!

一度でもいい。自分がもてる想像力を総動員して「今死んだらどう思うだろう...」と本気で思ってみたらわかる。
あたり前のことが、実はいちばんいとおしくて、離れがたくて、胸をギューーーっとしめつけるほどに、甘くて切ない宝物だということを。それはまさに「今ここ」にあるんじゃん!と知る。

一瞬も雑に流したくないなぁ...もっともっと毎瞬のすべてをあまつところなく味わいつくしたい。
その想いがわたしを「今ここ」のどまんなかへと導く。変わらないものはどこにもないけど、「今」のどまんなかには、確かに「永遠」がある。