LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

今ここに「自分の足」で立て <100/365>

ふおおー、遂に100日目!
3桁という新たな領域への最初の一歩を踏みだした。
えらかったね、自分よ...今宵はお祝いに第三のなんとかじゃなくってほんものビールで乾杯しよう!
どんなにへぼくても、よわっちくても、未熟者でも、コツコツと生きている、今ここにいるわたしは「ほんもの」だと言い切れる自分への祝杯だ。

わたしはここにいるぞ!
自分の足で立ち、わが現実のどまんなかに、その創造主として在るがままに存在している。

昨日、未熟者として開け放ってしまう感覚を知ってから、なんだかすべてが素通しだ。
わたしはもう、わたしを独り占めしたりはしない...したくないと思う。
みんな、好きなようにみて、感じて、お好みのままにレッテルを貼ったり嫌悪したりいろいろ、どこまでも自由にわたしを使っておくれと思う。「在る」ということ。それは、磨かれた鏡のようだ。限りなく純粋にあらゆるすべてを映したいと望む。生死、清濁、善悪のすべてを。

それにしても、現実はパワーが必要だ。忙しい。めまぐるしい。体力、スタミナ、集中力が必要で、少しでもまんなかからぶれると容赦なく足元をすくわれる。

この難易度!
いいあんばいだよなーと思う。天晴れだ。
わたしたちの魂は、それぞれ丁度いい高さの難易度を設定して、挑戦、体験して、学び、進化、成長を求めているのだろうな。たとえハイリスクであっても、ハイリターンを求める。今日はそんな気がした。

魂の設定も、目指すところも、プロセスも、きっとそれぞれのオリジナルだと思う。
反面、みーーんな同じじゃんと思うのだ。

きっと誰もが、いったん自分が描いた(理想の?限界がある?目指すべき?)「自分像」を粉々に打ち砕いて、自分が創り上げている世界、今ここにある現実のどまんなかに、一歩も逃げずに、自分の足で堂々と立つことを求めているんじゃないのか。

いちばんほしいもの、みんなが求めるしあわせって、そういうやつじゃないのかな。
100日目の今日、わたしはそんなことを思った。