LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

圧倒的な「愛」に降参する時

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ああ、ホットカルピスが沁みる。笑。
今日は久しぶりの重たーい生理痛で1日寝込んでしまった。

体調不良で寝込む時の感覚って子供の頃から変わらない。他の方はどうなのだろう。曖昧だけど覚醒していて、不思議で懐かしい。
体のことは自力でどうにかすることなどできないのだよな、と思い出す。
体はわたしではないのだ。地球からの借り物のようなもの。儚く思えても、自然と同じで計り知れないほどパワフルでもある。人智で思い通りにできるような対象ではないのだ。できる限り理解し、人生を共にゆくパートナーとして尊重するのが相応しい。
生きてくれてありがとう。いつも無理させてごめんよ。これからもどうぞよろしくね。とっても愛してる(照)

「どうにかすることなんてできないのだよな」と思い知ることは、とっても安心で心地よい。体のことでもなんでも。わたしたちは雨を降らせることもできなければ、自分の心臓を自力で動かすこともできないのだ。物質的に無から有を生み出すこともできない。なんだか人は神さまみたいになんでもできるような気分になっているかも知れないけれどさ、どこまでいっても、この世界は、与え、育み、生かそうとする、大いなるベースが基になっている。わたしたちは誰1人として、その圧倒的な愛から逃れることはできないのだ。ふふふ。無力って素敵。ちっぽけで、取るに足らない自分であることは、とんでもなく幸せだと思った。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

正しさより「本当」で生きる夏

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待ちに待った梅雨明け。休日のいつもの街、目に映る光景も、すれちがう人たちも、アスファルトから立ち込める熱気も、夏に彩られている…ああ、大好きな夏がやって来たぜ、ベイベー!笑。

季節はただひたすらに繰り返し、日々も同じように繰り返し繰り返し流れて、パレードはどこまでも続いていくように錯覚する。そして生きることにウンザリしたりして。明日から仕事だな、行きたくないな、とか、暑いのは嫌だな、のんびりしたいな、海に行きたいな、だけど行けないな、ああコロナのバカバカ…などと思っている間に、全てはめまぐるしく変化していくのだ。取り戻すこともできないくらいに。そして、今、ここに生きているわたしはいつか、確実に死んでゆく。

「今この時」以外に確かなものはないもない。一寸先はわからない。この世界の無常さ、そして、無情さを思うとき、自分の中にある感覚のすべてをどこまでも自由に、解き放ち、全開にさせてあげたいと願う。

正しくなくていい。本当であればいい。本当で動き、本当を発現して、本当で響き合いたい。地面から天まで貫くくらいに。
世界よ、空気の一粒一粒よ、いつか会えなくなる人たちよ、街の匂い、晩ごはんの味、そう、どこまでも愛しく、かけがえがないすべてと、わたしは「本当」で溶け合いたいたい。夏の太陽と同じくらいに暑く、あまねく、限りなく。
そんなことを思った、2021年、夏のはじまり。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

「ふざけんな」怒れる自分を愛せ

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夏フェス「ロック・イン・ジャパン」の開催中止を受けた、RADWIMPS野田洋次郎氏のコメントがニュースになっているようだ。「ふざけんな」というやつ。
「ふざけんな」…ああ、なんて解放に満ちた響きなのだろう!わたしはRADWIMPSの音楽は全然聞かなくて、野田さんのスピリットや人となりも知らないのだけどね。自分の感じることや、内で起こっていることを、ジャッジも脚色もせず、自分自身でちゃんと受け止めている人なのだろうな、と思った。僭越ながら。
わたしが思うロックの原点はまさにそこなのだよな。あるがまま、正直であることの美しさ、優しさ、あたたかさ。
みんなちゃんと「ふざけんな」と思っているかい?「仕方ないじゃん」で自分の怒りを抑え込んでいたら、何も感じなくなってしまうよ。

自分の「怒り」を受け止めるのは、自分自身だけだ。それを外に向けるとひたすら満たされない気持ちになる。ベクトルが逆だからね。
怒れる自分を知れ。赦せ。自分の中にあるいちばん深い愛を使って、すべてを包め。未熟でも、ダメダメでも、なんでもいいからあるがままを包め。そこに着地点がちゃんとある。

日々、キーキー言いながらピアノを連絡するわたしを、わたしは慈しみ深く見守る。
何100回も練習しているのに、同じところでミスをする。思い通りにできなくて、情けなくて、腹が立って涙が出る。キイイイー!笑。
人生とは、怒れるわたしとそれを傍観するわたしの二人三脚である。だから楽しい。何があっても、わたしにはわたしがついている。どんな時もわたしはわたしを見ている。そばにいる。わかってくれる。わたしがどんなふうに生きてどんなふうに死んでいくのか。誰よりも楽しみにしているのはわたし自身だ。このインナーピースこそがわたしの宝物。

野田さんは「みんなそろそろ違うことは違うといっていいのではないか」というような言葉で結んでいた。元気が出るコメントだなぁと思った。
日本中のロックチャイルドたちよ、総理大臣に責任を問うような大人になるのはやめようぜ。笑。自分の幸せは自分で創れ。未来も責任も全部、僕らの手の中にある。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

永遠、そして、本当のこと

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深く深く、心の湖の最奥まで潜って、たったひとつの『永遠』と思えるものを掴む。それを掲げ、言葉に現すとしたら「すべてを愛したい」という真摯なる願いだ。

あるがままを愛したい。
その願いに比べたら、物欲だとか承認欲求、生存欲さえもとるに足らない。燦々と輝く太陽のような願い。悠久の時が流れても、幾度生まれ変わるとしても、根源の動機は唯ひとつ。すべてを愛したい。

それがわたしの根源ならば、あなたがいて、世界があるから、わたしは存在しているのだと思う。たぶんそう。わたしはすべてが愛しくて愛しくて、だからこそ、いちばんそれを忘れてしまうような難易度MAX、氷のような世界に時代に生まれてきたのだろう。それでも思い出す。あなたがいて、世界があるから。それはあまりにも美しいのよ。

美シイモノワ愛シイモノノコト。

世界よ、正しさもまちがいも気にするな。どこまでも多彩に、あまねくすべてをあらわして、拡がってゆけよ。どこまでも、どこまでも、わたしはそれを愛してやるさ。どこまでもいこう。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

『両翼』で飛べ、無限の自由へ

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ああ、あと100年くらい生きていたいなー。いきなりだけど、笑。
この1年でわたしは積み重ねることが大好きになった。たとえばピアノとか、仕事とか、文章を書くことも。生きるためにする全てのことも。

毎日ピアノを弾いていると「これだけやっても1ミリも上手くならないじゃないか!キイイィー!」と思うような日がある。情けない。泣きたくなる。でもいいの、泣きながらでも今日も弾くのだ。その行為は確実に積み重なって、あら不思議。なんか急に弾けるようになってきた?どした?という日が訪れる。
人体ってほんとうにすごい。どんなに不得手なことでも、無数に繰り返せばいつの間にか習得してしまうのだ。面白い…面白すぎる。

日々何を積み上げよう?
どんな未来を迎えにいこう?
果てしない自由がそこにある。
どこまでも積み上げてみたい。どこまでも無限に向かいたい。「自分」という概念を木っ端微塵にしたいのだ。「ワタシは短気で、三日坊主のナマケモノ」わかったようなこというなよ。木を見て森を見ず、いや、宇宙を切り取って箱庭スケールで眺めてすっかりわかったつもりになっているようなものだ。
わたしはわたし自身を裏切りながら生きたい。わたしは「 」。その「 」に入るものを片っ端からくつがえしたい。Queenは定義できない。わたしも定義できない。

それでも、どれだけ行動が変わっても、わたしがナマケモノであることは変わらない。普遍的な事実。
ナマケモノのままでよいの。だからこそよいのだよ。このナマケモノはものすごーく頑張ったり、地道に努力を続けたり、耐えて、乗り越えて、自分を大切にできる。「ナマケ」と「勤勉さ」の両翼を合わせもつ、スーパーナマケモノに進化するのだ!
これこそ二極の世界で生きる醍醐味ではないか。ああ、楽しい。あと100年くらい、この世界で遊んでいたい!

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

自分自身を愛で満たす

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広い広いこの世界、この宇宙に「わたし」という存在の代わりはいない。どんなに探し回っても同じ個性はどこにもない。みんなみんな、唯一無二のオリジナルだ。
ならば「わたし」が感じることを宝物のように大切に、どこまでも尊重しよう。正しいとかまちがいとかおかしいとか、そんなことはどうでもよいのだ。要はいつも「本質」であるかどうか。自分のどまんなかの核心から溢れてくる感性かどうか。その純度を高めていくこと。切磋琢磨の中で削がれていくエゴたちを理解し、赦し、抱いていく。一粒のエゴも否定したくない。あるがままを受け入れて生きたい。純粋とはきっと、あらゆる濁りも受け入れる、その先にある。

さてさて、ピアノを始めて今日で1ヶ月が過ぎた。まともに弾ける曲はLet It Beくらいなのだけどね…何よりもうれしいのは「このわたしがピアノを弾いている!」という驚くべき現実である。笑。
そのよろこびが、ゆるゆると世界を変えてゆく。わたしの観点が変わればわたしの世界が変わる。未来が変わる。現実とは完膚なきまでにメイドインわたし。その実感を肌身で感じている今が大好きだ。

そして、この世界は、幾億万もの「メイドインわたし」が響き合い、織り成し、創造しているのだろう。愚かしくも愛しいこの世界を。

現実がその創造主を攻撃することはできない。もしそう見えるなら…現実があなたを苦しめるなら…その苦しみのどまんなかに立て。1ミリも抵抗せずに苦しみとともにあれ。
ビートルズポール・マッカートニーは、どうしようもない苦しみの中にいるとき、聖母マリアがそばにきて囁くと歌っている。Let It Be。在るがまま、成るがまま。聖母マリアは自分自身だ。自分のいちばん深いところ、魂から溢れる愛。それはどんな自分も見捨てない。苦しみがあるならいちばん近くにいき、で寄り添う。その慈しみ深き愛で自分自身を満たすことでしか、きっと世界を愛することはできない。はち切れるくらいのこの愛、この想いを、あらわす手段は外にはない。内へ内へと向かうしかない。
わたしたちは誰よりも自分自身を尊重し、こよなく愛し、よろこばせ、しあわせに生きる責任があるのだよね。改めてそう思う。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

終わらない歌を歌おう

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コロナワクチンの接種が猛スピードで進んでいる昨今。目の前に迫るわたしのテーマは「人はそれぞれにちがう」という事実を本当の本当の本当に、命のレベルで受け入れられるか、ということだなぁと思う。

なんかいきなりヘビーな出だし。笑。
わたしの生活ときたら相も変わらず、コツコツと地道に過ぎている。ピアノを楽しみ、歌い、音楽に浸り、仕事をして、料理をして、好きなときに文章を書いたりなんかして…おやおや、地道と書いたわりにキリギリス系?笑。わたしはわたしの「望み」を生きることにだけ、ただひたすらに地道なのだよ。すべてが遊びで、すべてが使命ともいえるような、楽しき日々の真只中だ。

冒頭のテーマは最近思っていること。
ワクチンを接種することでコロナウイルスの脅威から解放されるという報道を、わたしの体と直感は「Yes」と言わんのだよね。それはもう正直な気持ち、感覚の問題で、根拠とか何が正しいかとかは関係ないの。
昨年コロナウイルスが出てきた時も同じで、闇雲に怖れるのではなく、今目の前にあるパニックとわたしはどれだけ向き合えるか。死の怖れを越えた存在として。丸腰で。このパニックが直面させようとしているテーマやメッセージをどれほど掴み取れるか。情報も世論も関係のないところで、わたしはこのパニックやウイルスに何を感じるのか。そして、何を選んでどう生きていたいのかと思っていた。

そういえばこの日記、当初は「コロナウイルスとわたし」というタイトルにしちゃおうかと思ってたのだよね。笑。
そのくらい「サシ」で向き合わないともったいないと思ったの。被害者でいたらただ呑み込まれるけど、今起こっていることは脅威なんかじゃないのだよ。なぜなら人はコロナじゃなくても必ず死ぬのだから。死に向かってどう生きるか。そうして死を見据えた自分の生と直面することで、人は目覚めていく。そういった意味では大いなるチャンスでもあるのだ。
自分の死と生。そこから逃れることなく、自分の足で歩いていく時代の始まりなのではないか。なんてことだ。だとしたら、めちゃめちゃ楽しいじゃないか。そう思った。

ここ1年くらいの時代の動きはとても大きくて、これからもまだ加速するのだろう。加速するのはそれだけじゃなくて、人生がどんどん楽しく、自由になっていく人と、その逆のギャップも大きくなっていくと思う。
大切なのは「どっちもあり」だということ。「全部あり」だということだ。ギャップや違いを愛し、尊重し合う心。「終わらない歌」を自分を非難する世界のために歌う、甲本ヒロトのような心だ。
ずっと昔から今も変わらず、わたしが学びたいのはそういうことだけだから、誰に対しても、いてくれてありがとうと思う。ワクチンでどうか誰も苦しまないようにと祈る。人類の肉体の底力を信じている。そして、ほんとうのところでは大丈夫。何がどうなっても大丈夫。大丈夫しかないのだ。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com