LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

勇敢であれ

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東京はとても梅雨らしい天気で、曇り空から時折光が差しても、パラパラと雨が注いでも同じ。ベースにあるのはどっちつかずのグレーな空だ。

白黒つけることなく曖昧のまま、グレーのまま、いやいやグレーとかでもなく何者でもないままにいられる「強さ」というものがあることを知る。
何者でもないということは、何者にでもなれるということだ。自分の内にある無限の可能性とか、とてつもないスケールの自由さ、そして、未来は白紙だと受け入れることは怖い。怖いから、可能性よりも安全な今がこのままずっと続くことを望む。
例えばそれが、どんなに不自然であってもね。変化したくない。頑強なまでに抵抗して、遠ざけようとしているのは、結局「死」なのだろうと思う。
死にたくないし、誰にも死んでほしくないよな。切ないな。それでも生きるということは、刻一刻そこへ向かうことなのだよね。変化は死を思い出させる。ほんとうはすべては舞瞬変化している。舞瞬死んで、また生まれている。今この時のかけがえのなさを心ゆくまで噛み締めて、そして、わたしは勇敢でありたい。

ピアノを弾き始めて1ヶ月足らず。
日記を毎日書かなくなって、まだ10日くらいかな。眩暈がしそうなほど自由な日々を過ごしているよ。
日記を書くことで毎日毎日確かめていた「わたし」という概念からそーっと離れてみて、それはまるで「かたち」のないものだと知った。わたしが感じていること、想い、哲学や言葉のすべてはどこまでも変わり、限りなく移ろうのだということ。

それでも消そうとしても消えない。
移ろわない、揺るぎないものだけが残り、何をする時にも「わたし」という存在を介して現れる。その確かなものと1つである時、わたしはいつもしあわせなのだ。

勇敢でありたい。
誰のことも縛らない。
本質を信じ、そこに寄り添うことができるように。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

自分の「体」を信じる

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人間の体はものすごい。日々そんな感動を味わいながら、ピアノの練習をしている。

わたしがやっているのはクラシックではなく、コード弾きからはじめて、いつかは素敵な伴奏を即興でできるようなところを目指している。今の課題は、専ら「コードを憶えること」。なのだけどね、まぁこれが難しい難しい。シンプルな鍵盤を10本の指で弾くだけなのに、無数にバリエーションがあるのだもの。考えた人たちすごいな。分数コードとか、邪道だと批判されたりはしなかったのだろうか。

何はともあれ、わたしは天才的なダメっぷりを毎日存分に発揮している。笑。
いつも決まって間違えるところを重点的に練習して、ようやくクリアできてくると、今度は別のところを間違え始めるという不思議…ああ。それでもすごいのだ。ひたすらに繰り返せば体が憶えるのだ。どんなに指の可動域と脳のキャパシティを越えているように思えるコードも、だんだん押さえられるようになるのだよ。わたしはこの可能性を信じている。自分の体が持つとんでもない能力に、もっともっと驚愕したい。
ナマケモノを貫いていたら、絶対に体験できなかったこと。わたしの体のポテンシャルを生かし切ってみたい。ピアノを始めてほんとうによかったなぁと思う。

樹木希林さんは、晩年、自らの体を「借り物」と云っていた。わたしはその言葉が大好きだったのだけど、今、ふつうの事実のように実感する。
コードを奏でるのは、わたしの意志とわたしが今借りている「人体」のコラボレーションである。どうやってコードを憶えているかなんてわからない。体さんのお手柄だ。まるで、体という乗り物を借りて、この世界というアトラクションを体験しているような感覚…人間をやることはそれだけですごい。奇跡のように。わたしたちはただ生きてるだけでものすごいのだと思う。

コロナとかワクチンとか、色々ある昨今だけど、わたしたちはもっと自分の体を信じてよいのでは。弱いものみたいに扱わなくてもよいのでは。ますますそんなことを思うのだった。
体が持つポテンシャルをわたしは信じている。それは花火のように爆発的に生きて死んでいくもの。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

終わりとはじまり

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すっかり習慣になっていた日記の毎日更新をストップすることは、意外にも勇気がいることだった。面白いものだね。エイヤーって始めて、エイヤーって終えるのだ。そこから先はいつも、果てなき未踏の世界。どうなっていくのかなんてさっぱりわからないし、コントロールする気持ちなどさらさらないのさ。流れるままにいけよ。Let It Be…そうそう、ピアノ熱はますます上昇中。笑。ぐーっと集中して鍵盤を叩いていたりすると、時々「ここはどこ?わたしは誰?これは本当にわたしの人生なのかしら!」などと思う。笑。

人生って、どこでどうなるか本当にわからないと思う。そういうと、多くの人は(わたしもそう)、つい、怖いことばかりを想像するけれど、いやいや、逆もあるのですぞ。とんでもなくステキなことにもなり得るのだ。わたしたちは、ステキを想像する方が下手っぴだけどね、いいのいいの。現実はいつも想像をかるーーく越えてしまうのだから。

懸命に生きている今が、どんな未来を創っていくのかなんて、わからなくていい。お楽しみでいいの。未来のことは未来のわたしに任せよう。丸投げしちゃおう。
今のわたしは、精一杯に今をやるよ。やり尽くし、なんにもなくなってしまったらきっと、そこには希望しかないだろう。どんなものでも生まれ得る、無限大の可能性だけがあるのだと思う。

要はね、自分が納得がいくまでやり尽くすことと、やり尽くしたらちゃーんと手を離すことは大切だなぁと思ったのだよ。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

「Trust Me」拍手喝采わたしのために贈る日<365/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で365日目。

今日で1年達成!ブラーーバーー!
雨の東京。二日酔いのわたし。笑。
昨夜は遅くまでピアノを弾きながら呑んでしまいまして。

1年の締めくくりとして書きたいことは、すでに昨日書いてしまったけれど、シンプルにまとめるなら、わたしがこの1年で得たのものとは「Trust Me」自分自身からの信頼、そして、拍手喝采でした。

今、世の中はどんどん合理的になっているように思います。不要不急。無駄が省かれる。ブログを書くのも多くの人にとって情報提供であったり、そこから何らかの形で収入、仕事に繋がったりと、ちゃんとした目的があるのもが多くて、ただひたすらに「文章を書くの好き!」とか「表現したいの!」というような発信が少なくなっているように感じるのです。
それが悪いと思っている訳ではなくて、ただ「なーーんの役にも立たないこと」「なーーんの得にもならないこと」の中にある、自分の命を煌めかせるものを、どうか切り捨ててしまうことなかれ!と思います。

「1年間、毎日日記を更新する!」と宣言したとき、わたしの周りの人たちは、誰も「何のために?」とは聞かないのでした。ありがたいことだ。どうしようもなく訳のわからない「挑戦」を笑ってみていてくれる。ありがとう、ありがとう…!
そうなの、それが丁度いいの。人生は真剣に生きるほどにコメディだし、思わず笑っちゃうようなこと中に愛と煌めきと、かけがえのなさがぎっしり詰まってるのだから。

とりあえず区切りとして、しょうもないほどに真剣に生きた1年分のわたしと、このしょうもない「挑戦」を応援してくれた人たちに、感謝と、拍手喝采を贈ります。

そして何事もなかったかのように、明日からも書き続けてゆくわたしを赦しておくれ。笑。ますます無意味に、何の得もなく。

世界がどんなふうに変容しようとも、わたしはどこまでも寄り添い、受け入れることで、これからも自分自身を讃えていくよ。
みんながそうであったなら、この上なくうれしいな。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

365回目のプロポーズ <364/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で364日目。

いよいよ明日で継続1年達成だ。
がんばれてよかったなぁ。リアルにわたしを知っている友人からはお褒めの言葉を頂くけれど。だけどね、たかが日記を1年間書き続けたというだけなのだよぅ。なんとも低いハードルでしょう?それでも一年前のわたしは、ああ、なんて無謀な決断をしてしまったんだ!と本気で思っていた。

今日は久しぶりに茅ヶ崎の洋子先生にお会いして、この1年間、わたしの挑戦を支えたある感覚に気づいた。それは言葉で現すのはむずかしいけど「ああ、もう無理だ…今日こそは書けない…書くには書いたけれど、こんな文章さらしたくない…ああ…」みたいな気持ちになるからこそ、そこを越えてみたいと願う強い気持ち、希望に似た感覚が、いつも<○/365>の向こう側から朝陽のように降り注いでいたのだよね。

未知へ向かって颯爽と生きていたい。
笑ったり泣いたりしながら、堂々と自分を讃えるように生きたい。
そうわたしが望むのであれば、ぜひとも叶えてあげようじゃないか。腕まくりして張りきってさ。一丁本気を出してみせようじゃないか。この1年でわたしがやったのはそういうだったのだな。何のためでもなく、自分の願いのためにだけがんばった日々だったのだね。

想いはカタチにしないと伝わらないというけれど、こうして積み重なってふくらんだカタチは、わたしの心と体を大いに動かしたのである。自作自演、365回目のプロポーズ。笑。そして、自分自身へのラブソングは永遠に続いていく。ますます熱く。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

いつか死んでしまうわたしへ <363/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で363日目。ピアノ12日目。

今日の日記、すごいタイトルだな、笑。
1年更新の達成もすでにカウントダウンに入っていて、今日は「書きたいことは今のうちにどんどん書いちゃえ!」みたいな気持ちになっているのだよ。

世間では「死」に纏わることはタブーだったり、ネガティブなことみたいに扱われているのだよね。
そう、確かに「死」は怖い。未知だし、痛かったり苦しかったりするのも嫌。いつ訪れるかわからないというのもすごく嫌だ。ある日突然に愛するこの世界のすべてとお別れしなくてはならないかも知れないなんて…そんな可能性を、誰もがいつも抱いてたまま、みんな平然と生きているとか、よく考えるとすごいことではないか。それも人の持つ強さのひとつなのだろうな。
それでもどうしても、わたしたちはみんな生まれたからには死ななくてはならないのだ。その事実と正面から向き合うことは、実は最もシンプルに、自分自身と向き合う方法なのではないかとわたしは思っている。

自らの「死」と向き合うとき、人は「1人」になる。正確には、自分とそれを見つめる自分が「やっと2人きりになれたね…」と深くお互いを見つめ合う、待ちに待った瞬間なのだ。
生まれ出でたその日から、すべてを共にし、共に死んでいく、たった1人の存在にようやく気づく。「やっと会えたね…」と。
孤独なんてなかったのだと気づく。淋しいと感じていたのは、自らの不在に対してだ。認めてほしいのも、理解してほしいのも、関心をもってほしいのも、そばにいてほしいのも、自分自身だったなんて…いやいや、どんな冗談だよと思うよね、笑。

死を怖がり、目を背けたいわたし。そして、今、確かに生きているわたしよ…いつか死んでしまうこと、ごめんね。赦してね。わたしはわたしをもう1人にはさせないよ。この世界にサヨナラするその時も、その後も、永遠に共に、わたしはわたしを愛し、讃え続けるよ。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com

~Trust Me~すべて「わたし」にゆだねる <362/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で362日。

ピアノ11日目。
今日はお休みなので、ガッツリと音を出してビートルズに合わせてLet It Be。何度も何度も繰り返す。楽しいなぁ…!
身体が勝手にリズムを刻む。心が踊り出し歌いはじめる。「生きること!」その歓びが湧き上がり、1つになって奏でる。
ああ、わたし、音楽が好きだ。命が終わるまでにどのくらい弾けるようになるかわからないけどずっとピアノを弾いていたいな。

そう、いつの間にか「結果」に関心がなくなっていたのだな。日々の努力が何の結果も生まなくてもいい。報われず、日の目を見ず、何の役にも立たなくてもいい。
自分がどこに向かっているかなんて、さっぱりわからないままでいいと思う。
今、生きていること。それが全部だ。ひたすらに生きる、自分を讃えるだけ。寄り添うだけ。慈しんでいくだけだ。

たとえば、嘘をつくわたし。嘘をつくわたしに気づいてるわたし。そして、嘘を責めるわたしや、言い訳したいわたし、何かのせいにして正当化したいわたし…などなど。
無数のわたしが、毎瞬さざ波のように揺らいで織り成す景色を眺める。奏でる音色を味わう。そうして、生きることの根源的な美しさに感動し続けている、この揺るぎない「わたし」を、わたしは信頼しているの。すっかりと、すべてゆだねてしまっているのだ。

何がどうなっても大丈夫。
わたしはそれを味わい、奏でて、歌うように、この生きる歓びの中をゆったりと漂っていくのだろう。そんなふうに思っている。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com