LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「本気」という奥義 <106/365>

朝から強烈な「休みたい欲」と死闘繰り広げ、みごと打ち勝つ!
ああ、なんともいい気分で職場に向う。
もはやわたしの中では、ちょっとしたゲーム感覚だ。どんな強敵があらわれるか楽しみだったりして...反面、うっかりするとと足元を掬われてしまいそうになる...そう、油断大敵、決死の覚悟である。だからこそ面白いと感じている。

朝の1、2時間のうちに体験してることが、わたしの人としての基礎的な力を底上げしてくれているように思う。
持久力、忍耐力、人間力、観察力、判断力、決断力などなど、鍛えられる感覚はまんべんなくある。

さらに、すこぶる朝に弱いわたしは「朝は元気がなく、けだるく、不機嫌なもの」と思い込んでいたけど、状況とか体調に左右されなくていいことを知った。自分の意志で「元気」になり「ゴキゲン」になっていい。ていうか「元気」も「ゴキゲン」も「しあわせ」もそういう性質のものだと思う。そう意志力!!これが使えるようになったことがたまらなくうれしい。まるで、自由に空を飛べるようになった気分だ!やっほーーい!

死闘といっても、何も特別なことをしている訳じゃない。
どんなに嫌でも、行きたくなくても仕事にいくだけ...そう、本気になっただけなのだ。
「本気になればすべてが変わる」と昔、松岡修造が歌っていたっけ。
まさにそのとおり。いたってシンプルだ。

そして、面白いことに、わたしはずっとずーーっと前から
ほんとうは知っていたような気がするのだ。

本気になれば、自分はどんなことだってできるということを。

そう思うのはわたしだけじゃないような気がするんだけど...ちがうかい?
誰しもが清々しい青空みたいに、広く、限りなく、自然をみるときみたいにニュートラルな目線で、自分自身をみたとき、たとえそれが一瞬であっても充分すぎるくらいに気づいているんじゃないのか。自分自身がもっている可能性の無限を。パワーの壮大さを。自分の足で立ち、覚悟を決め、本気で生きるときに繋がることのできる「本源」のとてつもなさを。

そうだ、わたしはずっと前から知っていたよな...今日はそんなことに気づいた。

ずっとずっと、たまらなく本気になりたかったんだ。
だけどなれなかったのはほかでもない。
怖いのも、苦しいのも、痛いのも、悔しいのも、かっこわるいのも、失敗も嫌だったから。要は「思考」のいうことをそのまま信じていたからなんだよね。うんうん、「思考」ってそういうものだよ。そして、それがわたしたちのデフォルトなのかも知れないよね。強い意志で選びつづけない限り、気づいたら「思考」の言いなりになっている...それが人というものなんだろうなーーだと思うようになった。

その変化はさりげなくも、とてつもない自由と、気楽さをわたしにもたらしたんだ。
「思考」が生み出すネガティブさは、消せない、止めれない、失くせない。人として生きる限り在る。
...だからなんだというのだろう!!!
わたしが望むように生きること。在るがままにあること。それを阻むものではない。むしろ、いつだってわたしにいちばん必要な学びくれる。わたしを映し、わたしを育ててくれる。思考こそが最高の教師であるなーと思った。