LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「魂の望み」を生きる ③ <87/365>

暑い。
今年でいちばん暑い1日だった気がする。
仕事中は底なしに「ナマケ」を求めようとするおのれの欲求と戦い、帰り道に定期付PASMOを紛失したことに気づいた。コンビにではマイバックに入れようとした缶ビールを落としてしまってどこまでも転がっていく。品出し中の店員もだれも拾ってはくれなかった。しょぼーーん...ああ、それでもわたしは気に病んでるヒマはない。人生は有限だ。
1日の中で出会う数多くのできごと、接する人たちから何を感じ、何をみるか、どう向きあうのか、どう生きるのか。すべてわたしが選んでゆくのだ。それしかない。もう「ほんとうに大切なこと」しかやっている時間はないと思う。

わたしにとって「ほんとうに大切なこと」とは、言うまでもない。
「魂の望み」を生きること。それに尽きる。

「キングオブ制限」と呼んであまりあるほどの「努力してはいけない」という、最強の思い込みの裏に隠れていたものは、まさかのわたしがずーーっと探しつづけていたもの、「しあわせの青い鳥」であった!

今いっちばーーんやりたいこと。それは、命を賭けて悔いなし!と思えること。
それをやっていると無条件でうれしくて、自分を誇りたくなるようなこと。
こうやって書くと、ワクワク、ドキドキ、るんるーーんという感じで、軽やかにスキップしながら生きているイメージかも知れない。事実は正反対で、日々、なかなかの苦行、なかなかの地獄である。

今やっていることが、自分にとって<超重要>であるからこそ、たやすく成せないように、あえて「過酷」にできているんじゃないかと思う。茨の道を裸足で歩ききったり、火の輪をくぐりぬけたり(?)しないとたどり着けないようになっている。そこにはきっと、わたしが永年恋焦れてきた「その先」の世界が待っている気がしてならない。

生きたまま死に、生きたまま生まれたい。
火の鳥が自らの肉体を火の中の投じて、死によって新しく生まれ変わるみたいに。
何度でも死して、生まれ、わたしはわたしとしてほんものになっていきたい。極めたい。


ほんとうの自分、「魂」はいつだって今のわたしが(精神的に)死ぬようなことを望んでいる。
清水の舞台からジャンプし、崖っぷちから落下した上ではい上がり、さらには手ぶらでジャングルのどまんなかに置き去りにするようなことを望む。(精神的にね)

「わたしたちの本質である「魂」は、愛と光しかないのです!キラキラーー!!」とか言っているひとたちは、上っ面だけをみているか、現実化できるはずもない高すぎるエネルギーだけを感じているか、無限の中の一部分だけをみているか...
それとも「知ってるけど秘儀だし教えてあげなーーい!ていうか、自分で見つけないと意味ないし!」と思っている人たちもいるのかも知れない。

エネルギーの世界は、本質、ほんもの、核心に近づけば近づくほど現実世界の比ではないほどシンプルでキビシイ。
しあわせとか癒しを自分自身の外側に求めるようでは、そもそもおよびではないのだ。
ましてや、自分自身の価値をもゆだねようとするなどもってのほか。
まずはその「執着」に気づくことしかはじまらんのだよ。