LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「魂の望み」を生きる! ② <86/365>

今日は初めての試みだけど、仕事のお昼休みにこの日記の下書きを書いている。
夜、充電切れ状態になる前に書いておきたい。そう、書きたいの!書きたいことがいーーっぱいあるのだよ!!

コロナ対策で静まり返ったリフレッシュルーム(休憩室)の片隅のソファーでひっそりと自分の核なる想いをしたためるなんて...なんだか素敵に新鮮だわ!
そして、わたしが毎日「よっしゃー!」と思える文章を書く時間をつくること。そこにも「努力」をフルに使って挑んでよいのだ。ああ素敵...そして新鮮...!

わたしは「そうか、努力してもいいのか!」と気づくその瞬間まで
自分の中に「努力なんかぜったいしちゃダメ!ていうか、お前にはムリ!」という巨大な制限、思い込みがあるなんて...まさか想像すらしていなかったのだった。

努力しようとしてもできない、続かない...それは、自分が人間失格なせいだと思ったこともあった。持って生まれた性格、性質だから仕方がないんだと、目を背けて過ごしたこともあった。
「努力できない」という要素と「自分」はふたつで1人、ワンセット、切っても切り離せない。一体であって一生つき合っていく「個性」のように感じてもいた。

そう、一体化するほど見えなくなる。
それを含めたアイデンティティを築いてしまうからかも知れない。
「努力?忍耐?そんなのくそくらえだー!!」と叫びまくっていた、偽ロックなわたしも今思えばいとおしい。その亡骸を抱きながら「おまえの死は無駄にしないぞーー!(泣)」と思うのだった。

物心ついた頃からずーーっとともにあり、ともに笑い、ともに戦ってきた「努力できないわたし」が絶対なるものではなく、単なる「制限」なのかと思い知ったときは、大げさではなく天と地がひっくり返るレベルのおどろき、衝撃だった。

この大どんでん返しが起こったきっかけが、わたしの場合はタイトルのテーマに繋がる。

いい加減で、あまくって、楽観的で、ナマケモノ
口癖はもちろん「なんとかなるっしょー!」だったりする。
忌野清志郎の如く「いいかげん」を志すも、もちろん極められない。あたり前だ。どんな分野であれ、ほんものは死に物狂いである。
わたしが「死ぬほどカッコイイ!」と思う人の裏には、つねに常人でないレベルの「努力」があった。
知ってたさ...そんなのもちろん知ってたさ!

「魂の望み」とかいうとふわっふわな、愛とか光とか歓びとかワクワクとか、キラッキラなものだと思うかもしれない。
わたしもたぶん、そんなふうに思っていた。

だけど、わたしの魂も、みんなの魂も、誰の魂も、果てしない「闇」、光が届かない世界、分離を体験するためにディセンションしてきている勇者たちなのだ!

今日はようやく本題のさわりのさわりまでたどり着いた。
明日、または数日かけてつづきを書きたい。落とし込みたい。思ったこと、感じたことを、心行くまであらわしたい。