LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

源にあるもの <191/365>

規則正しく、丁寧に生きること。整理整頓とか、すっきりとしたミニマムな暮らしとか。
朝、今日も目が覚めたことによろこび、夜は感謝とともに眠りにつく。
そんな暮らしはわたしには無縁だと思っていてけど、意外にもわたし、地道で濃厚な今の暮らしが大好きだ。

1日はいつも、命を燃やし生ききるには充分すぎる。必要ななにかをどこかへ探しにいくことなんていらないのだよ。自分の内と目に起こる現実から溢れる、恩恵と学びを受け取るだけで満ち足りている。
今ここ。ここがわたしのステージだと知る。そして…

時折やってくる物足りなさとか、「退屈」な気持ちは何のサインだろう。今日は仕事にたいしてものすごーく退屈だと感じていた。なんの新鮮味もなくて、同じ繰り返しじゃんと思い、気持ちが重ーくなっていた。

そう、退屈だと思っているのは、わたしの思考パターンなのだよ。
そのパターンは苦しい想いなんかしたくない。忍耐なんかまっぴら御免だと思っている。努力とか積み重ねとか、そんなダサイことやってられるか、なめんじゃねーぞ!とか思っている。コツコツがんばるなんて、負けだ!とかね。

面白いなーー。
たくさんの反抗期的な暴言の源あったのは『あるがままの、今のわたしを認めてほしい』と願うパターンであった。そのパターンは「努力しなさい」とかいわれると今の自分を否定されたように感じるのだね。あぁ、なーーるーーほーーどーー。

インドの聖者、ラマナ・マハルシは『すべての苦しみは善である』という。
なぜなら、進化、成長に不可欠だからだ。ていうか、魂側の観点でみると、「そのために生まれて来たんじゃないか!」と。どっぷりと苦しみを体験してでも進化したいと願う。わたしたちはほんとうは1人残らず勇者である。
そして、魂側、自分の本質、どまんなかで生きるとき、苦しみはもはや、苦しみではなくなってしまう。自分の存在価値が粉々になるようなときほど、それは魂の企みだ。わたしたちは大丈夫。魂の意のままであればよい。翻弄されてなんぼなときもある。ただ生き抜けば、必ず夜は明けるから。

今日は書きたいことがたくさんあって…退屈だと思っていた1日が、見事にひっくり返ってしまったよ。
思い付くままに記録しておこう。今日もしあわせだったよ、ありがとう、自分よ、大切なみんなよ…神様ありがとう!