LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

いとしさとせつなさと心強さと <130/365>

4連勤やり遂げたーーー!
今月はなんだか仕事に行きたくない、仕事したくないという気分が猛威をふるっている。
なかなかすっきりと晴れてくれない東京の空模様とおんなじに。
それを、そんなこともあるのだよなぁーーーと、ただ静かにみているわたしなのだった。

いいの、気分はわたしではない。
どんな気分のときがあってもいいと思うの。様々なジャンルの気分を体験したい、味わいたいと思う。
わたしの行動は左右されない。いつでも決めるのはどまんなかの「わたし」なのだという、この感覚はあまりに心強い。

愛しさとせつなさと心強さと...
まさか、小室哲也はこの感覚のことを言っていたのか?!

様々な気分と感情と、それを生んでいる思考パターンがいとおしいと感じる。
それは生きている醍醐味であるからだ。
わたしたちはそれを体験したくてしたくて、たまらなくて自ら手をあげて、でっかいリスクを覚悟して生まれてきた勇敢な魂なのだとわたしは思っている。苦しみを生むような思考パターンたちを、自分が必要で創りだしたものだと知り、受け入れて、理解して、やすやすと愛し、学んでいくとき、それらは宝物になる。そして、そうやって学べるのは生きている間だけのことで、どんなに頑強な思い込みも、この肉体が死ぬときにはきっと消えてしまう。せつないなぁ...

それは、親が子をみるときのせつなさと同じやつだ。
うちの息子はとっくに成人しているけれど、毎日苦しかったり、いやな思いや痛みを味わいながら懸命に生きている姿をみると涙が出てくる。苦しんでほしくないとかじゃないの。いとしさとせつなさと、彼が存在し生きていることのよろこびと「がんばれーーー!!!!!!!」という想いが合わさった涙だ。

ああ、息子だけじゃなく、家族にも友人にも同じ想いを感じるぞ...ていうか程度は違えど、すべてに人たちにそんな想いを抱いているじゃんね。見境なしに。

電車に乗り合わせたり、たまたま街ですれちがう人たちに対して
もしもわたしがこの人の母ならば...娘ならば...姉ならば...親友ならば...あらゆるバージョンの「もしもシリーズ」を展開しては心を震わせる...生きていてくれてありがとう!あなたはかけがえのない存在です!!ああ、いとおしくてせつない...

だけど、聖母でも聖者でもないわたしは、常時そんな状態でいる訳ではない。物理的に不快な思いをすれば、かっちーーんとくるし、イラッとムカッとする。
そして、そんな自分をもたまらなくいとおしく、せつなく、慈しみ深きまなざしでわたしはみるのだ。

もう地の果てまでいっても、わたしはこの心強さの外に出ることはないのだろう。生きてる限りずっとずっと。わたしはわたしの手のひらの孫悟空として、もっともっと飛びまわってやるーーーー!!!そう思うとき、わたしはとってもしあわせを感じる。