LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

天と地のどまんなかに立て <61/365>

今日は遅い時間から出勤で、いちばーーん暑い時間帯に仕事に向う。
灼熱のアスファルト、サウナみたいな地下鉄のホーム、1年前とか、その前の夏を想う...あんなにも不自由な気持ちだった夏を...!夏が大好きだーー!とか言いながらも、仕事に行くことがきつかったよなぁ。暑さも、汗をかくことも、メイクがドロドロになって、髪が崩れちゃうことも、あらゆるすべてがわたしのテンションをグーーンと下げたものだった。そんな記憶が蘇る。

それにくらべて、今のわたしのこの自由さは何なんだろう!!!
あらためてそんなことを想った。

明確に、今のわたしに繋がっているシフトが始まったのは1年前くらいだ。
「自分の人生」という茨の道を前に、生まれて初めて靴を脱ぎ捨てて、裸足で、そして、アルプスの少女ハイジみたいな笑顔で、よろこび勇んで走り出したあの日...
わたしは自分が「死んだとき」のような意識になって、今ここ、そして、ここまで生きてきた自分を観るという体験をしたのだった。それをきっかけにして、わたしはわたしという人を「外側から観る」ということができるようになったの!そして、今まで目を逸らしていた自分をたくさんみて、目の当りに向き合って、きつかったよね!それでもとにかく1年間、正直に「自分」とだけ向き合ってきたね。

今わたしが感じている自由さ、しあわせさというのは、まごうことはない、「自分のすべてを自分で引き受けよう」と決めて歩んだ結果なのだろうと思う。

天と大地の間に、わたし専用のスペースが用意されているような感覚だ。
絶対的な安心感。
わたしという人、そして、わたしの世界の創造主、救世主はわたし自身だということ。
それをすっかり受け入れた先に、この限りない心強さがある。

あのね、バシャールが言っていたんだよ。「すべての「個」は全体をも含む」って。
逆説的なんだけど、わたしはわたしの世界をめいっぱい知り、そこに責任をもち、創造しようとすることで、あらゆるすべてと繋がることができる。それが身にしみてわかったよ。

天も大地も同等に、わたしがわたしであることを、ただ無償でよろこび、サポートしてくれる。
それでも今のわたしは、半分もそのスペースに留まることができなくて、ぶれる。ぶれまくる。それすら祝福されている。すべての生は祝福されている。自分が自分の人生の創造主だということを認め、生きてみればわかることだ。スケールはちがえど、それは神様の仕事だからね!恐れ多くも気持ちがわかるのだ。

最高にかっこ悪いことを晒すのは勇気がいるけれど、超絶かっこいい自分を晒すことのほうがもっと勇気がいるのかも知れない。
今日はどうしてもこのことが書きたくって、勢いで書いているけれど、もっと深く見つめていきたい。

精神世界に現を抜かすこともバランスを欠いていて、往々にして「逃避」であったと思うけれど、
現実世界の常識に生きることも同じくらいに、アンバランスで、実は現を抜かしていると思う。

天と地と、そのどまんなかに生きること。
心清く、自他を愛し、日々精進せよ。そして、人の気持ちを想うように、神に想いをはせよう。
たぶん、悠久の昔から人はそうだったように。