LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

究極の相思相愛 <62/365>

今日は仕事に行きたくなさ9.5(MAX10)レベルの抵抗を「そうだねそうだね、よっしよーし!」とあしらいながら出勤する。暑さに絞られ、仕事内容的にもウヒョーーと絞られ、いい感じで帰宅する。ビールうまし。悔いなし。至福の夜よ。

それにしてもこの数日というもの、360度全方向どっちを向いても、ただ「わたし」一色なのである。この真新しい感覚を、一体どんなふうにあらわしたらいいんだろう。もうどんなことをしても、思っても、語っても。そして、なにが起こっても、誰がなにをしても、それに対して「わたしがどう感じるか」「わたしがどう向き合うか」しかない。それ以外の選択肢がなくて、内へ内へと向かい続ける。24時間、ずーっと「わたし」と2人きりだ。こんな感覚は初めてのこと。

意識が向かない方には向かないし、向いた方には全集中で向う。
日々のすべてが気楽で、しあわせで、果てしなく心身に沁みる。静けさの中にある。

誰かにどう思われるかとか、自分の正しさを人様に証明したかった過去たちよ。
足りないならいつだってまた、それを望んだっていいよ。挑んだっていいよ。
だけど、もしも...「わたしのことはわたしがわかっている。理解し、信じている。すべて見届けてやる!」という、熱きこの想いが、ようやく伝わったということならばこんなにうれしいことはないぞ!!と思う。
外からの、理解も愛も称賛も、もはやいらんだろう!これほどの愛を、きみが疑ってるんなら、この喉を切ってくれてやる。Oh、ダーリン、共に悩んだり、生涯をきみに捧ぐ。

今日はそんなことを思っていた。

「見るもの」と「見られるもの」の間に真実は存在する。バシャールの言葉だ。
<わたしを見るわたしと、わたしから見られるわたし>すべてはその関係性の中で終始していく。
他の人は入って来れない、濃厚な愛の世界である。友達も恋人も家族もだれも。
なのに、どこまでも深く深く、すべてのひとたちを繋がっていて、壁がない。自他一体というより他にないと感じているパラドックス

今日はこのまったく新しい感覚をそのままに記録しておく。
またわたしは大いにぶれて、今感じているすべてを見失うだろう。上等である。
なにやら変容の時期を迎えているね。戸惑いもあるね。だけどよろこびでいっぱいだね。よかったね、わたしよ!

完膚なきまで、わたしはいつも、受けとりきれないほどに愛されていたんだなーーーーと思い知る、そのプロセスの只中で。