LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

愛をもって終えていく <49/365>

今日のひとこと

3年B組金八先生」の第2シリーズ、加藤、松浦連行の神回をみた。
ずっと昔に2、3回はみているはずなんだけど、まーー見事に忘れている...ていうか、当時の自分が感じたことをもとに、勝手なストーリをつくりあげて、長いことそれを反芻していたんだなーと思った。「あれ、こんな展開だったっけ?」とか「こういうシーンがあったはずなのに...!」などがありすぎてビックリ!
昨日の日記に書いた吉本ばなな先生の言葉も、記憶していたものとはぜんぜんちがうものだったし...なんか、こうなってくると、わたしは自分の過去の記憶すべてを疑ったほうがいいような気がする。事実とはぜーーんぜんちがう可能性が高い。あてにはできない。

そしてなにに対しても「絶対こうだ!」などというのはやめた方がいいかも知れない。
自分が責任をとれるのはいつも<今>に対してだけだ。この瞬間にリアルタイムで感じていること、思っていること、体感していることは「絶対」だと思うけれど、次の瞬間にはどんなふうに変わってしまうかもわからない。そんな流動的なわたしなんだもの!「絶対」なんてないのかも知れない。ましてや人様に対してそんなこと、言えるはずなどないなーと思った。


今日思ったこと

中島みゆきの「世情」をBGMに加藤くん、松浦くんが連行されていくあのシーンとか、
心なき大人たち、警察や教師たちの横暴さ、非情さ、そして、「人」として自身を賭して生徒たちを守ろうとする熱い教師や保護者たち。
今の世の中は平和になったし、暴力もへって、それぞれの人権を無視する行動ができなくなったぶん、楽しみとか、人同士の触れ合いの度合いとか、あらゆる心と行動の触れ幅も、小さく狭く、スマート化されているのだと思う。だから表面にあらわれる出来事としてはちがうけど、奥にある<人間ドラマ>としては、今の世の中とそんなには大差がないように思った。
それは、ひとつの「正しさ」の中にあらゆるすべてを封じ込めようとする流れと、自らの「正しさ」を脅かそうとするものとのあくなき戦いのドラマだと思う。

昔のわたしは「心なき大人たち」を敵とみなしていたけど、
今は「敵」と思っていた人たちの性質は、ぜんぶ自分の中のもあることを知っている。「ナマケモノ面」は「めーーんどくさいから知らないふりしてようよー!そして、おうちに帰ってグダグダしよー」と思うだろうし、「負けず嫌い面」は「おいらに逆らうものはみんなやっておしまい!」と思うだろう。「怖がり面」においては「あとあと何かされるかも知れないじゃん!警察に捕まえてもらうか、最悪ころしちゃえばー!」と思うかも知れない。コワーー!

それでも、わたしは自分の内側にある、あらゆる面たちをこよなく愛しているのさ!
この先もあたらしい面にどんどん気づいて、もれなく愛し、その愛を深く深く育てあげる心づもりなのだ。
死ぬまでに、わたしの中のすべてを愛でいっぱいにしたい。多様性こそをよろこび、まるごと愛したい。

わたしがやれるのは自分の内側のことだけだ。そして<今>だけ!
ならば自分の内側で、愛をもって、戦いドラマを終りにしていこうと思った。できるのはそれだけじゃんね!


今日は金八先生第2シリーズを知らない人にはまったくわからないような日記になった。
そして初めて、2パートに分けて書いて、こいつは定着させてもいいかも!と思ったよ。そして、明日へつづく!