LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

自分自身と永遠の恋におちる 【究極の恋】 <48/365>

今日の東京は南国みたいに、激しい雨が急にふったあと、嘘みたいに雲の切れ間から日が差したりしている。
こんなふうに気まぐれなお天気がわたしは大好きだ。
お天気みたいに、天然で気まぐれな人も好き。「あらあら。さっきまでゴキゲンだったのに急に黙り込んでどうしたんだろう...」などと勝手にハラハラして、勝手にふりまわされたいと思う存在がいることは、日々のスパイスでありエネルゲン...いや、エネルギー源だ。

なんだか今日は「恋」について書きたいなーと思った。
恋は恋でも、そんじょそこらのやつじゃなく「究極」のやつについてだ。

わたしは「恋する対象」をカテゴライズするならバイセクシュアルだということを明かしておきたい。
心をキューーンとさせるのは女子の方が多いかも知れない。初恋は幼稚園のとき、同じクラスのかおりちゃんという女の子でした。キャーーー!(ていうか、何を書いているんだ、わたし!)

いやいや、だからそういうんじゃなくって「究極の恋」について...
わたしがまだ「恋」というものに永遠性があると信じていた17才のころ、吉本ばなな先生の「ハチ公の最後の恋人」という小説の中に書かれていた一節に、心を打ち抜かれた。

そこには「わたしは自分自身と永遠の恋におちた」というようなことが書かれていて、そのエッセンスはわたしの心に刺青みたいに刻まれて、今の今まで決して消えることはなかった。どんなにドラマティックな恋に落ちても、天国への階段を、今まさにのぼってるんだよね...そうだよね!そうでしょう!うふふ!あははーー!みたいなお花畑が現れても、「おまえは究極の恋を体験していない」と地底から響くような声が聞こえつづけていた。

そう、「自分自身と恋に落ちる」
わたしはそれが究極だと思っていて、それ以上のしあわせはなく、わたしを満たすものはそこにしかないと思っていたんだけど、どうしてもどうしても手が届かなかった。手がかりさえつかめない。たすけて、ばななせんせーーーい!!

もうとっくに手元からなくなっていた「ハチ公の最後の恋人」を30年ぶりに買いなおして、まだ読み返していないんだけど、30年ともに生きたあの一節に、わたしは再会した。

「そのとき私ははじめて大人として立ち、私の魂と恋に落ちたのだ」

これから改めて全文を読みかえすのだけど、おそらくこの一節だと思う。
それはまごうことなき、わたしの心を射抜きつづけてやまなかった言葉...いや、それ以上じゃないか、うおおお!!
「私の魂と恋に落ちた」とか、すごすぎる!核心すぎだろう!!
ばなな先生のような、こんな素晴らしき表現者が存在しえるこの世界って、わたしたち人類ってすごすぎるだろう!!もう、鼻血が出るほどの想いだ。

そして、このイカズチをまともに食らい、「究極の恋」を探求しつづけたわたしの30年後について...
求めているものは見つかったよ。ていうか、最初からぜんぶこの手の中にあったんだけど、大きく大きく外の向かうことで、深く深く内に向えるんだ。だけどすべては自分の中を飛び回る旅だったよね。自分がどれだけ奥深く、壮大で、多様で、多次元であり無形、無限の多面体であるか...それを知らなくては、ここにはたどりつけなかったんだ。長い間待たせてごめんよ...だけど、待って待たせた甲斐はあったよね。ここまでのプロセスもすべて、一人じゃなかった。ずっとしあわせだったんだと今はわかるよ。

Thank you for waiting , Baby I love you forever!

 

今日はBOOWYの歌詞みたいなビートニクスな気分にのせて「究極の恋」について書いてみた。
冒頭の、お天気みたいに気まぐれな天然の存在とはわたし自身のことです。照れてます。もう毎日ハラハラドキドキまいっちんぐ(恥)です。

 

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