LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「現実」という名の「鏡」 <163/365>

今、目の前に繰り広げられる「現実」のすべてが、いとおしくてたまらんなーーと思う。わたしの「分身」のようなもの、無数の「自分の一部」たちがあふれ出して飛び交い、交わって創りだすこの世界の何を疑うことがあるのだろう、怖れることがあるのだろう。「現実」の内に起こることすべては他でもなく、今のわたしが進化、成長するためにだけあるんだ。生きるってすごいな。ほんとうにほんとうに、生まれてきて、生きてきて、今わたしは生きていてよかったと思う。

こんなにもシンプルで、プリミティブで、絶対的なよろこびがあることを、知ることができたのはいちばんのよろこびだ。
そして、それをいちばんのよろこびだと感じている自分がうれしい。そんな無限大のよろこびの連鎖、メビウスの輪は実在するのだよ。

「自分はダメだ」と思っているような自分はダメで、そんなふうに自分自身をジャッジしている自分はもう、救いようがないくらいにダメだと感じたりする。果てしない自分のダメさ、を修正していくなんて考えただけで怖ろしいし無理だ...もうすべてが嫌だ、死にたい...よろこびのメビウスはそれをただひっくり返したところにある。ひょいっと観点を変えただけだ。もっと具体的にいうなら「自分」というものから距離をとって、いいあんばいの「目線」や「関係性」を見つけるということだと思う。

よく精神世界のマスターたちは「手放しなさい」とかいうよね。
まさにあんな感じだ。そっと手を放して、距離をおいてみるだけのこと。
たとえば「嫉妬」が湧き上がったとき...
そういう思いをなくそうとか、まちがいだからとか、レベルが低いとか、そういうのはダサいし、恥ずかしいし、もうやめよう、なんとかしよう...とするのが「手放す」ことかとわたしは思っていたんだけど、どっちかというと真逆なんじゃんね、と思う。「嫉妬」を感じても、「ああ、わたし嫉妬してるんだなぁー」と気づいて、「嫉妬してるけど、それを動機にむやみに行動するのはやめよう...だってそれはわたしの<本質由来>じゃないしな!」と思えることだ。「嫉妬」する自分をぜーーんぜんのへっちゃらで受けいれて、手名づけちゃって、なんなら自在に乗りこなせること。それが「手放す」ことだと思うのだ。

そうそう、わたしの<しあわせ道>は外側の条件左右されないのだよ。
平穏な人生を求めてなんかいない。
世の中でいうところの成功は...関心ない。
波乱万丈あろうとも、悠々と大波小波、さらには今世紀最大のビッグウェーブなんかも乗りこなしちゃって、きゃっほーーい!!と遊び、楽しみ、味わいつくすことを願う。

「現実」というものがわたしの内側のあらわれ、「鏡」であり、そのすべての「起」が自分にあるのだとしたら...わたしはこの世界のあらゆるすべてを、ただ手放しで愛し、祝福し、「いいね!」で響きあって、信頼し、開き切ってしまおう。そこに躊躇する理由は、もうどこにもないじゃないか!!!!!と思った。限りあり、かけがえなき、今この時の中で。