LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

変わっていく...というより拡がる、高まる <111/365>

思う存分眠った日。
日々の生活で、やらなくちゃいけないことがたくさんあって、やりはじめるまでは果てしなくやりたくないと思うことがわたしには、ほんとうに山のようにある。仕事に行くこともそう、掃除とか、夕食をつくることや洗い物...もう生活全般がほぼそうなんだけど「ああ、やりたくないなー!!」と思ったままでさっさとやってしまい、達成感、気持ちよさを味わうこと。その繰り返しが大切なのだなぁと最近思う。

パブロフの犬ではないけれど「いやだと思うこと→いやだから(なかなか)やらない」を選択するよりも「いやだと思うこと→いやでも(さっさと)やる」の方がうれしくて、気持ちがいいんだなぁ...と新しい回路が繋がるまでコツコツと繰り返すと、案外人はシンプルに新しい習慣、新しい自分になれてしまうものだと思う。そして、繰り返して行動するのが大変だと感じることこそ、その先に待っているのはきっと、予想よりも大きな変化だ。

わたしは今、自分がしっくりきて、ここちよくて、しあわせで、なるべくご機嫌で、力が湧いてくる生き方、在り方を自分の意志で創っていきたいと思っている。それはどんどん更新されて、いつも最先端の自分仕様にどこまでもやわらかく、だけど綿密でありたいと思っている。自分のよろこびのために、そうして日々尽くしていること、そしてそのプロセスの中であらゆることが限りなく変化していくことがすっごくうれしくて、面白いと思っている。

「変化」について
以前のわたしには「今(過去)の自分がダメだから、変わっていかなくちゃいけない」という思い込みがあったと思う。
継続できないわたしじゃダメだから継続できるようにならなければ。努力できないわたしじゃダメだから努力できるようにならなければ。無責任なわたしじゃダメだから、太っているわたしじゃダメだから、ひとりぼっちなわたしじゃダメだから...そう、ダメ要素は無限にある。結局、苦しい、悲しい、悔しい、惨め、孤独、絶望などを避けるために「変わりたい!」と思っていたような気がする。そう、これらはわたしのほんとうの望みでも、願いでもない訳だよ。

今のわたしは、上に書いたようなことをすっぽりまるごと抱擁してあまりある自分になっていくことを変化だと思っている。
「こんな自分はダメだ」という考えがなくならなくっていい。むしろそんなことを思わせちゃっててごめんよ...ありがとうね...みたいな気持ちでいっぱいだ。わたしという存在全体の、本体そのものを大きくするため、豊かにするため、進化、成長のためにネガティブな考えのすべてがある。そしてネガティブは生存本能でもあるからね。「それはそれ」なのだ。わたしが創っていくもの、選んでいくものはそこではなくって、本体が望むものなんだとわかっていれば差し支えない。ネガティブを体験できるのもきっと生きている間のことだ。悠々と味わえばよいじゃないか。

そういえば心理カウンセリングの勉強をしていた頃に「アセンション」という言葉に初めて出逢ったのだけど、そのときの先生が教えてくれたことをわたしはずーーっと憶えている。A→Bに変わる、ではなく、A+B=ABに変わるのが「アセンション」というものだとか。

高いところから観ると視点はグーンと拡がる。
自分と自分の現実になにが起こっていたのか、よーくみえるようになっていく。そんな感じかな。
だけど高みに立ったとしても、小さき蟻の営みまでも、さらに我がこととして見つめたい。わたしの世界で起こるすべてをあまつところなくみたいし、幸あれ!と願いながら拡がっていきたい。

「生きる」ということは神様の仕事をなぞるようなものなのかも知れないなぁ。
わたしの世界、わたしの現実の創造主がわたしであるように、あらゆる人が自分の世界の創造主であるのだ。実際にはどでかい1つのものを一緒に創り、拡大しているのだとしても、創造主同士が「個」として刺激しあうことができるってすごいことだ。今日はそんなことを思った。