LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

只今変容中... <112/365>

1ヶ月振りの連休。
低気圧の中で静かに静かに過ごす。

季節が変わっていくみたいに、毎日日記を書くことに対する自分の感覚が微妙に変わってきたことを感じている。「さぁ!今日はなにを書いてやろうかしら!!」的な力みとか、特別感がなくなってきたと同時に「ああー、今日は書きたくない...」などと思わなくなってきた。朝になれば日が昇る、みたいな状態で書くことが多くなってきた。

今まで、毎日日記を書くことで大いなる何かがもたらされるんじゃないか?!的な、でっかい期待があったように思う。
そして実際に得たものは計り知れない。わたしはすでに自分自身に「ナマケモノ」とか「三日坊主」とか、いい加減で、無責任で、天下一の気分屋で、こらえ性がないなどのレッテル貼ることができなくなっている。それらはもって生まれた個性で、永遠のキャッチフレーズで、切り離せない一部だと思っていたけれど、ぜーーんぜんそんなことはなかった。明確にそれを知ることができたのは日記のおかげが大きいと思う。

1日の中のわずかな時間でもいい。
際限なく自分の内側にまっすぐに向うこと。
感じるまま、思うまま、今、生きている様を、どこまでも正直にみて現すこと。
それを続けていくこと、行為そのものが思っている以上に大切なことなのかも知れないと思う。その思いが日毎に強まっている。すでに「日課のひとつ」に近いものになってきた。それが、100日以上継続して体験した境地だ。

ここからさらに未知なる境地に向かって、コツコツと「今」を積み重ねていこうと思う。継続200日を迎える頃に自分が何を感じるのか、どんな世界をみているのか、ひたすらに楽しみだ。

それにしても、2日間ぼーーんやりと過ごした影響なのか...今日のわたしは特別に凪いでいるなぁ。

なんか最近ね「自分」のことをあんまり「自分だ!!」と思わなくていいような感じがするんだよね。「わたしはこうだ!」とか叫ばなくていいような気がするの。(思えばずーーっと叫び続けていたな、人並み以上にww)
それから「自分を自分でどうにかしなくちゃ!」みたいな感覚が、どんどんどんどんなくなって来ているんだよね。

今わたしが「自分を生きること」に懸命になっているのは、自分というのが全体の一部だと感じているからなのだよ。わたしはわたしだけのものじゃなくて、みんなのもの...ていうか、借り物...もしくは全体の中の「役」といってもいいのかも知れない。責任をもって「自分を生きる」ことで、舞台全体が輝きだし、みんなも自分の役をひたすらに生ききることができるような気がするのだ。
この新しい感覚は、ぜんぜん掴めていなくって、ぼんやりとした表現になってしまうけど、それでも書いておきたいと思った。ていうか、こういうことこそ日記に書いておきたい。これからわたしは、この感覚の奥にもっともっと入っていくのかも知れないし、まだよくわからない。とにかくノーガードで、手綱をすっかり放してしまって、じっくりとみていようと思う。