LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「不完全をさらす」という挑戦 <170/365>

めっろめろに忙しかった日。
仕事も生活も、考えられないくらいハードでも波に乗れちゃってる感じでスイスイとこなせちゃうときもある。はたまた、ひとつひとつが驚異的に高きハードルに思えるときもある。む、むり...と思えるような。どっちにしても、今できるのは「目の前のひとつ」という意味では条件は同じなのだけど。

そういえばわたし、自分のキャパシティたるものは、使い物にならないくらいにめちゃくちゃ狭いと思っていた。
何かを同時進行させたり「両立」なんていうステキなことは、まずできたためしがない。そして、あれもこれも...と忙しすぎるとすぐに潰れてしまう。何もかもがいやになって、ぜーんぶまとめて放り出してしまう。「ゼロか100か」「ALL or Nothing」などという言葉は自分のためにあるような言葉だと思っていたものだ。

日記継続170日目...それはわたしが「継続」「忍耐」「責任をもつ」という目標を打ち立ててから経過した日数とイコールということになる。
この挑戦の中で学んだことは計り知れないけれど、わたしにとっていちばんきつかったのは「気分に振り回されない」ということだと思っていた。書きたくなくても書く。ぜんぜんそんな気分じゃなくても書く。「それどころじゃないぜ!」と思えることがあっても書く。眠くても、気絶しそうでも、体調不良でも、マジで時間がないときでも書く、書く、書く!!!わたしにとってこれ以上の修行はなかったし、今までの人生で、こんなにも自分を大切にしたこともなかったと実感している。

そして「気分に振り回されない」といい勝負できついのは「不完全な自分を晒す」ということだったなーーと、今日初めて気づいたのだった。
この日記を書きはじめるまで、わたしは自分がもっとできると思っていた。やればできる。本気を出せばできる。今はまだ本気になっていないだけ...ていうか、今だってまーまーできているんじゃないかな...根拠はないけど、なんとなく感覚でさ、きっとそこそこだと思うぜ...などと思っていた。
そこには謎の「理想の自分像」があって、それを基準に自分をジャッジし続けていた訳だよね。
死にたくなるほど自分を責めたてたりするくせに、底知れない甘さをあわせもつ。あの感覚が「挑戦」「努力」を死に物狂いで拒んでいた。
すべてが暴かれてしまうことを怖れていたし、まるはだかに暴かれたところが実は「真のはじまり」だということに、ほんとうは気づいている。真のはじまりは、真じゃないものにとっては終焉だし、死であるのだよね。大切なことは隠されていない。ただ今まで「自分だと思ってきたもの」が強烈に抵抗する。その抵抗感こそがサインだ。

気分とか、コンディションはおかまいなしに、日々書く、日々仕事をする。
家事をしたり、自分が生きるための面倒をみながら、やるべきことをやりつづける。時間がなくて、いっぱいいっぱいで、不完全さを晒すことに耐えること、それがわたしにとっての「忍耐」なのか?!と思ったりした。そんな170日はわたしの中の「謎の理想像」を見事に破壊したのだった。これはとても大きなことだと思う。

「いつかきっと」などという感覚は、今のわたしにはない。
夢や理想は、わたしの本気を燃え上がらせる起爆剤にはなるけれど、いつもときめくのは「今」なのだ。「今」感じていること。体験していること。その積み重ねが向っていく先よりも、プロセスそのもののに萌える。今日もそのプロセスを今こうして、積み重ねる。