LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

僕が僕であるための「サムシング」 <172/365>

わたしは日記を書くとき、ほぼ毎日、なにも決めず、考えずに書きはじめて、想い浮かぶままに綴るということを170日以上も繰り返している。
なんか、よく考えるとおどろきだ。わたしが意図してやりつづけているのは「とにかく書く」ということだけだ。意識しているは、なんでもいいから正直に書こうと思うくらいで、内容とかネタ?…こういう日記の場合でもネタというのかわからないけど…構想みたいなものがあることは稀で、大体はまっさなら白紙だ。だのに、わたしは日々なにか自分の想いらしきものを書いている。不思議だ。
この文章たちはどこからやってくるののだろう。絵を描いたり、曲を創ったりする人たちにもそんな感覚があるのだろうか。芸術的な人たちと横並びに考えるのは失礼かも知れないけれども。

時々、わたしが書きたいことは「ひとつ」だけなんだろうなぁと思うことがある。「ひとつ」なんだけど究極であるそれを表したくてたまらなくて、書きたい気持ちは尽きないのかも知れない。
わたしの場合、それはそのまま「生きること」と連動している。わたしに書くことを勧めてくれた数人の人たちは、それを見抜いていたのだろう。才能があるからでもなんでもなく、単純に、書くことでスイッチが入り、いいあんばいに機能するタイプの生命体(?)なのだろう。最近自分のことをそんなふうにみている。

人にはそれぞれ、そういう何か、サムシングがあるとしたら…なんて素晴らしくおもしろいのだろう!と思う。
趣味だとか、何かの役に立つとか、むろん収入に結び付くとか、そういう場合もあるかも知れないけど、もっともっと意味のない「何か」だ。好きだからやってます!とかじゃなく、やらないとうっすら罪悪感を感じるような…夏休みの宿題を後回しにしてる感があるようなこと。みんなそれぞれに「サムシング」があるんだろうか。もちろん1つだけじゃなくて、幾つもの。

「釣りは好きというより、けっこう大変なんだけど、釣り道を極めることが、人生そのもの過ぎて30年も続けてます」みたいな人がいるとしたら、語り明かしたい。そして「わかります!わたしにとってそれはレース編みです!」とかいう人たちが、ふつうにたくさん現れたらステキだな。