LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

ゆだねる <157/365>

明けない夜はない。
太陽が1日も休まずに昇るみたいに、今日も日記を書く。
ここまで書いたら、窓の外はにわかに雨が降りはじめた。そう、雨に打たれても、風に吹かれても、信じた愛に背を向けるな。(By長渕剛

日々コツコツと自分の内側と向き合うことが、どうにもきついと感じるときもある。いや、いいのだよ、内側がいやなら外側と向き合えばいい。けっきょくは同じことだ。目に映る、自分とは無関係に回っているように見えるこの世界はおのが創造物だ。
「知っただけが世界である」という言葉がある。まさにその通りと思う。自分の内にないものは見えない、感じられない、関係することができない。
すべては共鳴だ。同じ周波数同士が響きあい、豊かな世界を現在進行形で創っている。
あなたが「知る世界」にあなたに無関係なものなどない。「あの人マジで信じられない。超最低ーー!」みたいなことを思うときや、テレビに映る犯罪者に「絶対赦せない!」などと思うとき、同じジャッジを自分自身にも下しているのだよ。そして、その、信じられない最低さも、直視できないほどのゆるせない要素も、同じものが自分の中にあるということだ。

今日、エックハルト・トール先生の本を読んでいたら、
<「裁判官」ではなく「知る人」になる>という一節があった。

なんかそういうことなんだよね。自分の中に「超最低」や「絶対赦せない」要素がバリバリに在ったからといって、それがなんだというのだろう。「在るんだなー」と思えばいいだけだ。「地球って、宇宙から見ると美しいなー」とか「猫ってかわいいなぁ!」とかと同じみたいに、「わたしの内側でこういうことが起こっているなー」とか「3キロ太っただけで絶望してるなー」とかふつうにみればよい。「太ったくらいでなんだというのだ!人は見た目じゃないぞ!!」などと修正しようとしたり「なぜ太ることはダメだと思っているのだろう」などと原因探しをしたりしなくていいとわたしは思う。さらには、修正しようとしていることも、原因探しをしようとしてることも知っていよう。

わたしたちの本質(魂)には、明確な目的があるのだと思う。
それは人間であるわたしごときが、知ることができるスケールのものではないし、台無しにできたりするものではない。
着々と進行中である、壮大な進化のプロセスを、大きな意味ではどこまでもどこまでも信頼し、ゆだねたらよいのだと思う。
それは燃え盛る炎みたいに、どうにかできるような代物ではない。風は舞い起こったからには、何かを破壊したとしても吹き抜けるしかなく...わたしたちの本質もそれに近いのかも知れないと思う。

自分の中の思い込みも、それに対するジャッジも、ジャッジに対するジャッジも、それらに惑わされることも、魂の進化、成長のための自作自演なのではないかとわたしは思っている。気がついたら雨も降りやんで、静かな静かな秋の夜が更ける。