LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

宇宙というスケールからみた「わたし」 <39/365>

今日は30日代最後の日記だ。
それにしても、365日に近づいている気がぜんぜんしない。
「1年日記を更新し続けた自分」など未だにこれっぽちも想像ができない。
だからこそ楽しみだ!という気持ちは大いにあるけれど、「予想以上に無謀な挑戦であったな、自分よ!」とつねづね思っている。「日記の更新くらいでおおげさな!」と笑うやつもいるだろう。それでいいのだ。「わが成すことはわれのみぞ知る」である。ぶれたり、戻ったり、調整したりしながらも、わたしは「自分がほんとうに感じていること」を大切にする。その在り様を、仕事でも日記でも、ただコツコツと表現していきたいと思う。

いきなりだけど、
わたしは宇宙を想うとき、とってもクリアで安心した感覚になる。
それは「宇宙のスケールからみたら、自分の存在や悩みなんかちっぽけだ」という感覚とはちがう。
逆に「自分の存在って、思っている以上に重要だわー!!」と思うのだ。

この感覚を、どこまで表現できるかわからないけど書いてみたいと思う。

「もしもこの世界から自分という存在がいなくなったら...」的なことを、きっとほとんどの人が考えたことがあるだろう。
現実的な「世界」というレベルで考えると、家族はどうなるか、仕事はどうなるか、いなくなったら困るだろう...または、誰も困らないだろうなーとかそういうことを思うことだろう。

では「もしもこの宇宙から自分という存在がいなくなったら...」と考えたことがある人はいるだろうか。
わたしはこれを、真剣に考えてみたとき「ああ、それはやばいぞ!」と思った。

「宇宙」のスケールに向き合うとき、わたしは身体とか、人間的個性とか、人生だとか、そういうものをすっかりとり払った「意識」の観点になるのだと思う。
そこからみたとき、今、ここに在る「わたし」という個性の「意識体」は、このでっかい宇宙の隅から隅までくまなく探しまわっても、ひとつとして同じものはないということに気づいたのだ。雷にうたれるような衝撃だった。
ほんとうに無二だし、宇宙にひとつだけの花だし、かけがえがなく、絶対になくなっては困るものだと思った。マッキーが歌っていたあの歌はそういうことたったのかと!

ああ、この感覚がどこまで伝わるだろうか...どこまで表現できているだろうか...!

わたしは現実の中でどっぷりと生きているとき、うっかりすると、自分のことを「ありふれた、取り立てて特別なものをもたない個性」として扱ってしまう。なので時々目覚めのパンチが必要だ。

自分にとって自分は、ありがたみがなく、あたり前の存在に思いがちだけど、
実は、大いなる宇宙の中で唯一無二の個性であって、すべての彩りの中のかけがえがない「一色」で、それがなくなることは宇宙全体のバランスと、美を奪ってしまう。そんなすごい存在なのだよ!と、わたしは「宇宙」を想うことで定期的に想い出すようにしている。

今「自分」をやっているということは、宇宙からかけがえがない「一色」をあずかり、その色をどこまでも極めて、全体の美しさに貢献しているということなのだと思う。だからわたしは「今、自分がほんとうに感じていること」をどこまでも大切にしよう!
この花を咲かせよう!この色を極めよう!