LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

毎日磨き、向き合い、極める <162/365>

360度、全方向がどっぷりと「現実」まっさかりである。
ああ、ステキ...これぞわたしが求めていたものよ...などと思いながら、ウンザリするくらいに仕事する。山積みの家事、雑事に埋もれる。そんな日々が楽しくて、しあわせだと感じているわたしはどっかおかしいのかも知れず。今まで堕落の限りを尽くした人生の反動なのかしら。「わたしには無理」と思っていた事柄を、悠々と乗りこなせることがただ単にうれしいのだ。自転車に乗れるようになったこどもみたいな気持ちなのだよ。
こんな高揚もいつかは懐かしく思う日がくるのだろうか。人として生きるためにこなさなくてはならないことを、いつかあたり前のように乗りこなして、もはや自動運転レベルになっちゃって「初めて自転車に乗れた日」みたいな羽が生えたみたいな自由さを、よろこびを、いつか感じなくなるのだろうか...楽しみだなーー!次に訪れるのはどんなサプライズなんだろう。どんなに真新しさなのだろう。今は今の新鮮さを味わい尽くしたい。全開で感じていたいと思う。

そうそう、今回の伊勢の旅を振り返ってみると、、
わたしの心に強く残ったのは、神社よりも「人」だったのだよね。
二見浦で塩をつくり続ける「岩戸館」の百木さんや、外宮の参道で創業70年を超える伊勢うどんのお店「若草堂」を、朝6時半から夜19時まで、ひとりで切り盛りするおかみさんのご神木にも似たたくましさよ...ひたむきでどこまでもあったかく、その真心と誠意と仕事、技は時代がどんなに揺らいでもビクともしない。ただ、自分の仕事をたゆみなくやりつづけるその姿勢、佇まいからは神々しさを感じた。自分を生きていく姿にまさるものはないのだなぁ。美しくてかけがえがなくて、心がぎゅーーっとなって、涙が出る。

「人格」というもの。
それは自ら磨き、鍛錬し、育み、極めていくものだ。
そのプロセスが「生きる」ということそのものでもあると思う。
それはわたしがずっと逃げ続けてきたものの正体でもあるのだけれど、逃げるだけのことはあるのだろう。それだけ重要だということだ。

天照大神が地上を離れるとき「これをわたしの魂だと思って、毎日磨きなさい」的なことを仰せになって、孫のニニギ尊に鏡を授けた。鏡に映るのは自分自身であるということ。大切なのは内面だとしても、内面を現し、外に向かい拡げるのは「人」そのものである、その格を「人格」というのだなーー。
思いがけずに伊勢帰りらしく、神道的にまとまったなぁ!

魅惑的な鉄板焼きが香る晩餐の席に、そろそろもどりましょう...レタスをガーリックバターで焼くと絶品なのだよ。