LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

好きなように生き、しあわせであれ! <45/365>

この日記はブログをはじめてから80記事目になるんですって!
そんなこともあってかなくってか、今日は、日記を書きはじめてよかったなーーという想いをあらためてかみしめていた。
書きはじめてくれたわたしよ...そして、今日まで書きつづけてきた、その日、その時のわたしよ...ほんとありがとね!という気持ちでいっぱいだ。

もう何度も書いているけど、毎日日記を書くことくらい「大したことじゃなくない?」と多くの人が思うだろう。わたし自身も大したことだと思ってるわけじゃないの。わたしにとって日記を書くということは、ささやかだけど「わたしがほんとうにやりたいことをやる」という行為なだけなのよ。

「ほんとうにやりたいことをやる」というのは、実は、なかなかに大変だったりする。
思っていることの10%も表現できなくても、自分にしかわからないような痛々しい文章になったとしても、それでも書くのだ!知識、表現力なし&ボキャブラリー貧な自分と、それ対する悔しさと真正面から向き合い、挑むのだ!どんなに時間がなくても、気分がのらなくても、それどころじゃないときも続けるのだ!立て、立つんだジョー!!毎日、自分に向って叫んでいる。書きつづけた先になにかがあるわけでもない。目標も目的も、なーーんにもない。
ただ「死ぬまで思ったことを書きつづけていいよ」といわれたら(誰に?)なぜだか知らないけどものすごーくうれしく思う。「もうなーーんでも、好きなことをやって、しあわせに生きていいよ!」と言われるのと同じ意味に感じる。そこだけは揺るぎないの。

こういうのって誰にでもあるのだろうか。
わたしの息子は、定期的にアジアを1人旅する。「アジアが好きだから」でもなく、語学を学ぶとか、いろいろな景色や世界遺産をみるとか、写真を撮るとか、旅行記を書くとか、現地に人と交流するとか...そういった人に説明できる系の理由はなにもないという。しいていうのなら住み慣れた安全圏を出て「大変な思いをしにいく」らしい。それから「自分」と水入らずで旅をしている感覚が好きだそうだ...こう書くとかっこいいな、おい!
だけど、なんだかわかるなーーと思う。「やりたいこと」って案外リスクを冒してのチャレンジだったり、そうじゃないと面白くなかったりするんだよなーーと。

もしも神様的存在がこの世界にあらわれて、
「地球に生きる人類たちよ、今日からそれぞれがほーーんとうに好きなように生きて、しあわせであるように!」と命じたとしたら...世界はどんなふうになるだろう。

人類の多くは意外にも、物質的、享楽的な欲望を満たすことよりも、もっと奥底から湧き上がる「チャレンジ欲」を満たしたいと思うのではないだろうか。「そこに山があるから登る」みたいなやつ。大変な思いをしたり、苦難を乗り越えることによろこびを感じたり、「できないことができるようになる」ことが子供みたいにうれしかったり。そういうまっとうな「しあわせ」って実はあなどれない。生きているからこそ味わえる「しあわせ」ってそういう類だと思うからだ。部活でしごかれてきつかった日々が、今思えばすばらしき我が青春であった...カムバーック!みたいなものだ。

そう考えると、わたしは「好きなように生き、しあわせになれ!」と神様がいうのならば、ますます、目の前の現実とガッツリ向き合って、感じたこと、思ったすべてを書き現して生きたいと思うだろう。何も足りないものはない。いつもいつも、今ここにある現実は「自分専用」のベストシチュエーションなのではないか思う。

そして、神様はきっと「好きなように生きて、しあわせであーれ!」と生まれたときからずっとずっと、いつも、今このときもすべての人類に願い、命じつづけているにちがいない...!と思う。だってわたしが神様だったらぜーーったいにそう思うからな!