LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「結果を出す」~現実へのコミットメント~

「奇人変人聖人日記」として始めたこの日記だけど、気づいたら、書いている内容に方向性とか、一貫性がなく、そのことに対して自分自身が「なんだか嫌だなー」と思っていることに気づいた。
「なんのために日記を書くか」なんて知らないでいい。理由はいらない。
「正直に書く」「自分自身に読んでもらいたいことを書く」それだけでいいのだけど、他ならぬ、自分自身が「なんか嫌」と思っているのはどうなんだろう。

今日のように、時間がたっぷりあって、コンディションもよくて、書きたいことがあふれ出すみたいにスラスラと書ける日もあれば、そうじゃない日もある。ていうか、そうじゃない日の方が圧倒的に多い。
かといって「無理しないで、書きたいときに書きたいことを書けばいいじゃん♪」とは思わない。わたしは「無理」がしたいのだ。無理してでも毎日書き続けたいと思ってる。しかも、自分で自分に「いいね!」が出せる文章を、毎日毎日、よせてはかえす波のように書き続けたい思っているのだ。

『継続』『忍耐』『責任をとる』という、未知なる領域に挑戦中のわたしにとって、
これは、日記のことだけじゃなくて、ライフスタイル全体にかかわる大切な課題、最初の壁なんだと思う。

さぁ、どんなふうに超えていこうか!
日々刻々と変わりつづける、気分とか、想いとか、コンディションの流れの中で【動かざるもの】を築くのだ。

「いいじゃないか、にんげんだもの」という有名な書がある。
作者の相田みつを先生は、書の道のためなら女房を泣かし、家族を犠牲にし、わがままでケンカっぱやい、たいそうロックな人物だったそうだけど、一般的にはこの言葉を「こんなことやっちゃってるけど仕方ないよねー、だって「にんげんだもの」てへ♪」みたいなぬるい感じで使う人が多く、つねづね「なんだかなーー」と思っていた。しかし、なにをかくそう、わたしこそが、その「なんだかなーー」の極みだったのだ!

「毎日テンションとか気分とかちがうんだし、それに左右されるのは仕方ないよねーー、今日の日記はなんかなっとくいかないけどそういう日もあるよ、だって「にんげんだもの♪」」とか、「疲れたから仕事やすもうー、疲れちゃったんだから仕方がないよねー!片付けもめんどくさから明日にしよう、もういいや、呑んじゃえ!あははー、ダメダメだけど仕方ないよねーーーー!だって「にんげんだもの♪」」という在り方だった。いや、うすうす気づいてはいたんだけど、直視に耐えない、恥ずかしい、あーもういやだ...穴を掘って入りたい!(自意識)


さて、この状況を「客観的」(魂の観点)にみてみたい。

わたしは、
○楽よりも成長を選びたい。
○そのために『継続』『忍耐』『責任をとること』を受け入れ、見つけたい。
と願っている。

これは『きちんと結果を出したい』ということでもあると思う。

例えば「キレイな部屋に住みたい」という願いがあるならば、「キレイな部屋」という「結果」が出るまで「責任」もって掃除をすること。「めんどくさい」という気持ちや、日々のコンディション、飲酒やYoutubeなどの誘惑に負けず(忍耐&過去の習慣を捨て去る)、「結果」が出るまでやり続ける(継続)。

わたしのような現実にコミットできないタイプは『結果を出す』ということが苦手な傾向があると思う。
単に現実的に生きる訓練をしていない場合もあるけれど、訓練のプロセスで「みんなできているのに自分にはできない!」と深い挫折や劣等感を味わっていることが多い気がする。

「できて当然」という前提が、心を挫くんだよね。
大多数がどうあれ、わたしの世界では「きちんと結果を出す」ということは偉業であり、大賞賛にあたいすることだ。
たとえそれが「今日もちゃんと「キレイな部屋」にできたよ!みてみてー!!」というレベルであっても「すごいね、よくできたねーー!!」と目を細めて笑い、優しく褒める親こそが、子供を伸ばすのだ。


【現実にコミットするための三ヶ条】

・<「願い」⇒「結果を出す」⇒「よろこび」> のワンセットを意識する。
・「結果」が出なくても途中でやめない。
・レベルアップを目指す。

これからの日記にこの三ヶ条を反映させていきたいと思う。

それが方向性になり、一貫性を生むように思える。
「まーいっか」とか「今日はこんなもんでしょ」みたいな更新はしない。

どんなふうに変っていくのか、ものすごーーく楽しみだ!!
たとえ長い時間がかかったとしても、わたしは自分に「現実で結果を出せる力」を備えてあげたいのだ。そして、真新しい世界を見せてあげたい。そのためなら、鬼にでも悪魔にでもなろうではないか!