LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

心のずっと奥にある「永遠」のようなもの

自宅待機10日目。
引きこもりの日々はまだまだつづく。

昨日「仕事にいかない日々に思いっきり退屈している」自分を認めてから何かが動き出した。
自分の「状態」とか「感情」というのは、本来は、ただそのまま味わって、水を飲むみたいにゴクゴクと飲み干したらするりと通り過ぎていくものなのかも知れない。
さけたり、認めなかったり、変えようとしなければ、ただの「体験」として流れていくのかも知れないと思う。川の流れみたいに、自然に。
「いやいやわたしは生粋のナマケモノじゃけん、引きこもっても退屈なぞするはずなか!」とか(「西郷どん」を観ているためみょうな九州なまり、すまん!)「わたしってこういう人だから」みたいなことを、実は結構なパワーを使って、自分自身にやっているなのではないかと思うのだ。家族とか恋人とか、人様に対して「あーあ、わたしのこと全然わかってくれないのね」とか思う前に、まずは自分だろ。「今までこうだったから、わたしはきっとこういう人だ」とか、過去を持ち出してレッテル貼ってるんじゃねーぞ!と自分自身に対して思う。もっと「今」の自分をみろ!そして、生きてることを感じろ!と。
わたしはもっともっと、自分自身を解放したいと思う。
無限の未来に向かって解き放ちたいと思う。「ぜったい無理」とかいってんじゃねーぞ、あんたは神か?!


ところで「西郷どん」とか幕末のドラマなどを観ていると「命を賭ける」という台詞が出てきて、マジでカッコイイと思う。
自分の中に「命を賭ける」ことに対する大いなる憧れがあることに気づく。
命を賭けるということは「何がなんでも絶対に成し遂げる」ということと「出来なかったら死んでもいい」ということ、そして「自分の気持ちや状況が変わったとしても、変わらずにやりつづける」という要素があると思うが、わたしが憧れているのは、「命」という「生きている自分という存在」を超えたところから誓う、その「在り方」に対してなのだと思う。
自分のいちばん奥にある「核心」は気分や状況、時の流れで変化したりはしない。いつもつねにそこにあって、静かに、だけど、力強く、ただ「存在」している。そのレベルで「成したい」と思うことをキャッチしていたい。そこに繋がる扉をつねに大きく開いたまま生きていたいと願う。

 

さて、今夜は焼肉しよーー!やっほーーー!

 

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