LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

今ここにある、無限大の「自由」を生きる

東京はつめたい雨が降っている。
なぜか心の中に「氷雨」が流れている。四十代以上にしかわからないであろう、失恋し酒場でヤケ酒をあおる女心を歌い上げた昭和の演歌だ。
昔はそういうダメな大人の曲がたくさんあった。今聴いてみるとギャグのように思えるような歌詞を、あの時代は真剣に歌い、多くの人がそこに共感していたと思うと、時代は大きく変わったなーと実感する。ていうか、おいらがそれだけ長く生きてきたってことか。てへ。

時代が移り変わっていくことを体験するのは面白い。人生は生きれば生きるほど、どんどん面白くなっていく。
これは実際に体験してみるまでわからなかったことだ。若かりし頃の自分に「未来の自分からのメッセージ」とかいって伝えたとしても「そんなん知るか!」と思うだろう。以前の自分からは想像もできなかった今がある。そして、今の自分には想像もできないような未来があるのだ。やばい・・・面白くてたまらないぞ!まさに「生きているだけでまるもうけ」ではないか!(BY明石屋さんま

わたしは自分に対して、できる限り「決めつけ」たくないと思ってる。
反面、これまでの人生の75%くらいが「決めつけ」によるものだったとも思っている。
「自分には無理だろう」とか「失敗するに決まっている」とか、自分の不安をあおるような台詞を囁きつづけるデビルは、他でもなく自分自身であると気づいている。
自分の「決めつけ」のままに生きることはある意味、とっても「楽」なことだ。変化とか挑戦をせずに、慣れ親しんだ世界の中で生きていくことができるからだ。ただ、<あらゆる全ては変化している>という宇宙の摂理に逆らい、さらには自分自身の可能性を見殺しにしているため、つねに漠然とした罪悪感と不安がつきまとう。膨大なエネルギーを使って武装し、たくさんの言い訳をして逃れようとする。そして「自分がどう感じるか、どう考えるか、どうしたいのか、さっぱりわからない」という状態が出来上がるのだと思う。(自分観察結果)

そう考えると「決めつけ」て囁いてくる、わたしの中のデビルちゃんたちには、これっぽちも悪意がないことがわかる。決して悪いものでも、自分を縛るためのものでもない。むしろ「傷ついてほしくない」「危険な目にあってほしくない」「安定していてほしい」という願う、心優しきお母さんの、執拗な愛情表現のようなものだ。
「ずっとお母さんの言うとおりにやってきたけど、もうウンザリなの!わたしの人生はわたしのものよ!好きにするわ!」と言い放つこともできる。「お母さん、今まで心配してくれてありがとう!もうわたしは大丈夫だよ」と理解し、溶け合うこともできる。そう「決めつけ」に気づくことさえできれば、自分で選べるようになるのだと思う。わたしが気持ちのいいほう、しっくりときて、力が沸いてくるほう、自由を感じるほうを選ぶことで、深く自分自身を知ることができる。「決めつけ」よ・・・ありがとう!うざいなんて思ってごめんよー!!!

そして「自由」を選んでいくということは、愛する自分を崖から突き落とし「這い上がってみろ!」と言い放つことでもある。
「楽」よりも「怖れ」の中に自分を放り出すことでもあると思う。
生まれたての小鹿のようにガタガタと震えながら歩みだすことでもある。
これは、やってみると癖になるほど面白い。想像を遥かに超える自分の強さや、勇敢さと出会ったりするのだ。
繰り返していくと「自分」という概念は呆気なくゲシュタルト崩壊するだろう。「自分はこういう人間です」なんて、間違っても言えない。いつも、<今>しかわからない。「今、自分はこう思っている」ということが、とてもかけがえのないものとして響くと思う。



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