LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「ほんとうの現実」を生きる <55/365>

感情は「わたし」ではない。
思考も、身体も、性格も、そう、「わたし」ではないのだ。

エックハルト・トール先生はそう言っているけれど、ならば「わたし」ってなんなんだろう!
多くの人がそう思うことだろう。

胸のまんなかのところ
心臓の鼓動、それよりももっと深く、身体よりも感情よりも、何よりもいちばん「わたし」に近い。
あたり前か...「わたし」そのものなのだから。

頭で理解したりわかったりすることはできない。
感じること。感覚でしか掴めない。

わたしは、その感覚を掴むまで、とても長い時間がかかったのだけど、
ぼんやりと曇り空の向こうに見える、おぼろげな太陽の輪郭を見つけるようなところからはじまって、そこにフォーカスして、感じ、少しずつ使ってみることで大きくなっていく。そしてあるとき「太陽がそこにあることは、頭ではわかっていたけど、ほんとうにあったのかよ!うっわーーー!」と体感するときが訪れた。

それでも何度でも、わたしはそれを見失ってしまう。
目の前の日常に埋もれてしまうのだ。

「自分がどれだけなしとげたか?」
「どれだけ多くのものを持っているか?」
「人とはちがう、特別な存在であるか?」
「どれだけ人に認められ、必要とされているか?」

そういう類を追い求める。
淋しさ、虚しさ、怖れ、孤独....そしてそれを産み出す「死」への恐怖よ。
それらから自分を遠ざけ、まもる「盾」として欲する。

その欲求が満たされれば、ただ酔いしれて自らに「OK」を出し、さらにそれらを失わないように、減らないように、強化できるように...1ミリもそのイメージに傷がつかないように自分を閉ざす。
足りなければ、どうにかしなければならないと焦る。自らに「NG」を出す。どちらにしても同等だ。
自分を弱きものと決めつけて、守りのみを際限なく強化しようとする。

「ほんとうのわたし」は守られる必要がないほど強く、「死」などははるかに超えた永遠性、普遍性をもつ。
わたしたちの「魂」は神様の一部であるといわれている。

「ほんとうにそうなんじゃん!」と、ほんのわずかでも実感したなら、それは正気をたもてないほどの衝撃だ。今日そのひとかけら、ひとつぶの砂くらいを体験して、わたしは腰が抜けそうになった。

しかしこれから仕事というタイミングだったから、ただただ心の中で「うおおおおお」と叫びつづけながら、職場のビルのエントランスをくぐり、エスカレーターを上り、いつもよりもまっとうに、心を込めて、しっかりと働いたのだった。

わたしが感じたこと、それは「ほんとうの現実」なのだろうと思う。
一般的な「現実」というのは、わたしたちを緊張させ、疲れさせ、生きることは大変だよねーという気持ちにさせることが多い。反して「ほんとうの現実」は、どこまでも力を湧き上がらせる。元気になる。自由になる。よろこびに満ちる。生きることはそれだけでうれしい、しあわせと感じる。そこで見極めよ!わたしは「ほんとうの現実」を生きているか?

今日は気づいたことをそのままに、できる限り記録しておきたいと思った。
じっくりと解凍していくその源となるように。
ぞろ目の日(55日目)は、やはり節目となるんだね!
濃厚な日。ここまでが限界だー、眠気が....もっと書きたいけど今日はここまで。おやすみなさーーい。