LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

神様のことどう思う? <293/365>

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昨日の日記の終わりに書いた「自分の中の神様と、ずっと一緒に歩んでいる感覚」について、今日はもう少し深めて書いてみたいと思った。

あ、当日記は、宗教団体とは無関係です。画像はイメージです。念のため。笑


子供の頃から「神様はいつもみているよ」と言われながら育ったわたし。
「神はいる」という感覚は「アフリカ大陸はある」ということと同じくらい、疑う余地のない、ふつうの事実だと思っていた。

そして、子供の頃にイメージしてた神様は、いわゆる「一神教」的な神様で、この世界のすべて、生きとし生きるすべてを創りし、唯一の創造主そのもの。クリスチャンの母に習ったまま、聖書のままのイメージである。
小さなわたしは毎夜、ベッドの中で神様に懺悔をしていたのでありました…「神様、弟のパンを盗み食いしてごめんなさい。「食べてないよ」と、嘘をついてごめんなさい。どうか地獄に落とさないでください。明日からもっといい子になります。それから、怖い夢を見ませんように。地震がきませんように。戦争になりませんように。どうかどうかお願いします!」みたいな。笑。全知全能であり、悪い子なわたしにとっては「畏れ」の対象でもあったのね。ナマハゲ的な。笑。


それに比べて、今のわたしは、どちらかというと「多神教」的に、神様をイメージするようになったのだなぁと思う。

すべての人の中にある「内在神」といわれるもの。シンプルに「良心」といってもいいかも知れないし、「真心」という方がしっくりくるかも。

たとえば『結果はどうあれ「真心」を尽くそう』と。
そんな心持になったときの清々しさは、誰しも経験があるのではないかな。

あの「清々しさ」を、わたしは「自分の中の神様(神性)と一緒に歩んでいる感覚」だと感じていて、さらに、いつもずっと、絶えることなくその「清々しさ」を感じていたいと望んでいる。
感情とか、観念とか、移ろうものを越えたところ。まっさらな青空みたいに「清々しさ」は揺るがない。そうなの、ここがわたしのいるところなの。そう思っているのだ。


宗教、精神世界、スピリチュアルなどを学べば学ぶほどに、なんだかよくわからなくなっていくのはなぜか。

その答えは簡単だよ。

神様、そして、真実とか、しあわせとかいろいろ、総じて<大切なもの>は「どこか」(はるか宇宙とか高次元とか)にある前提だから。自分を奥まで見つめないから。なんなら、自分の中にはないと決めつけて、目の前にある大切な「今」を棚上げするからだ。

…はい。上記したことはぜんぶ、わたしがどっぷりと体験したことでありまする。

はるかなる旅路のすえに、探し求めていた眼鏡は、ずっと自分がかけていたじゃないか、おい!と気づく。一体なんだったのかと。

そう、神様は自分自身の中にいる。みんなの中にいる。目の前にある日常に、目に映る世界のすべての中に存在している。それが、今のわたしの「神様観」です。

わたしたちは、自分の正体を忘れ、それを探し求め生きているけれど、探しているすべては、すでに自分の中にあると思うのだ。愛も、しあわせも、揺らぐことのない安らぎも、永遠性の平和も。何もかも。

だから、内にあるが如く外へ。
日常の中で、それを使えるようになるには、継続的な鍛練が必要なのだろうと思う。形に現すこともそう。人生を機能的に整えることもそう。

わたしたちの神様としての本領は、世界を創造できるはず!まったく新しい何かを生むことだってできるはず!すべてを愛し癒せるはず!
わたしは、神様を信じることと等しく、自分と、すべての人たちを、もうやばいくらいに信じているのだよ❤️

ユリ:yurixlovemax@gmail.com