LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

Unconditional Love ~聖母の目で自分を観る~

変人日記、10日目。
真っ白な、でーーーーっかいキャンバスに、思いっきり好きなことを書きまくってるような日々。
今のわたしは、書くことが楽しくて、面白くて、ずっとずっと書きつづけていきたいと思っている。
「いつか、宇宙でたったひとつの「わたし」というパートからみた、世界や、日々のことや、感じたこと、想いの全てを、ストレートに文章で表せるようになりたい」と願っていて、今、まっすぐにそこに向かっている。そのプロセスの全てに、ドキドキワクワクしている。

そして、わたしは、そんな自分が可愛くてたまらない!よかったね・・・と涙を流しながら、巨人の星のお姉さんのように、陰からそーーーっと見守り、支えていく。

「わたし」と「自分」は別々のパートだと思ってる。
この感覚をいちばんわかりやすく表現するなら、「お母さん」と「子供」という感じかも知れない。
泣いたり笑ったり、挑戦したり、自信をなくしたり、怒ったりよろこんだり、うまくいったりいかなかったりしながら、一生懸命に生きている我が子の一挙手一投足が、母にとってはたまらなく愛しいものではないか。
うまくいったり、がんばっていたり、成功したりする時だけ愛しいとは思わないだろう。逆に失敗したり、絶望したり、「自分はもうダメだ」となっている時にこそ、膨大な愛がわきあがってくると思う。

無条件の愛、わたしにとっていちばんわかりやすいシンボルは「聖母マリア」(敬称略)だ。
リアルな母親は子供に対していらついたり、「こうなってほしい」と自分のルールを押付けることもあると思うが、マリア様はそんなことはしない!と、わたしは思っている。つねにニュートラルな無償の愛、慈しみの愛、その源泉であるように思える。

わたしは「聖母マリアの目」で「今生きている自分」を客観的にみる、ということを続けている。
わからなくなった時には「マリア様なら、今の自分をどうみるのだろう」と思ってる。

もちろんマリア様にこだわる必要はなく、何でもいいんだけど、自分にとって「絶対的な、揺ぎない愛」の具体的なお手本を想像すること、時にはその存在に「なりきる」ことが、わたしにとっては重要ポイントだった。

「ありのままの自分を愛そう」とか「自分を好きになろう」とか「自分を許そう」とか…昔からよく言われるけど「できるならとっくにやってるわ!」と思わないだろうか?無理に好きになろうとしても、ダメ面を変えようとしたり、原因を探ったりして、よけいに苦しくなることもあった。いくつかの素晴らしいワークや尊敬する先生にも出会い、ようやく核心がわかり始めたのは最近のことだ。そして、超絶飽きっぽく、根気がなく、納得いくことしかやれない「わがままな自分用」のワークをつくってしまえ!ということで、今まさに自作自演&試行錯誤している。今日は勇気をだして、そのひとつについて書いてみた。

 

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