LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

わたしの中の「不二子ちゃん」♥️ <89/365>

休日。なのだけど、今までとは何かがちがう。

つかの間の自由時間、つかの間のナマケ、楽ちんさを「むさぼる」的な感覚がなくなっていることに気づいた。
同時に、今まではずーーっと強い「むさぼり感」が自分の中にあったことを知る。

それは、なくしてみて初めて気づいた。
君と過ごした日々の強烈さ、刹那的な衝動、駆立てられるような焦燥、際限なき無力感、不安、怖れ...そして、むさぼることそのもののたまらない甘美さよ。背徳的な快楽よ。
空気みたいに、身体や心の一部みたいに、あたり前にそばにいたから気づかなかったよ。こんなふうに突然に分離(わかれ)のときがくるなんて、想像すらしていなかったんだ。

Bye-bye、ありがとう、さよなら!!愛しい恋人よ!
あんたちょっといい女だったよ、その分ズルイ女だね...そんな気持ちだ。(Byシャ乱Q

その巨大な「思考パターン」を、わたしは「不二子ちゃん」と名づけた。

不二子ちゃんのやり口は、選択の余地がなくなるほどに魅惑的、誘惑的で、あまーーい言葉や香り、やわらかで生温ーーい感触でわたしのすべてを包み込んでしまう。まさに、峰不二子級のツワモノだ。敵わない。気づいたらぽわーーんとしたまま、言いなりになっている。操られ、魂までのっとられたとしても「まーーいいんじゃなーい。すっごい楽だし。気持ちいいし...」などと思う。

今のわたしは、不二子ちゃんの誘惑に打ち勝てるほど強くなったとか、そういう感じではない。
ただ、とことん気づいただけだ。「えーーわたし、そんなことになってたのかよ!」と。自分と不二子との関係を客観的にみることで魔法が解けて正気になった感じがしている。
「気づく」ってすごい!!今回ほどそう感じたことはない。

エックハルト・トール先生は「意識の光をあてる」と表現する。
自分の中で起こっていることをありのままにみる。その効果は絶大だ。

ちなみに「自分の中で起こっていることをみる」というのは、「今起こっている現実」を「自分が創りだしているもの」としてみるということ。内と外はイコールだ。「なんか外側からいろいろ大変なことが起こってしまうから、わたしは苦しくて不幸なの」的な感覚でいる間は何もはじまらない。自分を被害者だと思うのならば、加害者もまた自分だと気づくまで、同じような現実が手を変え品を変えてくり返し、展開される。

そう、宇宙の法則は、シンプルで、ありえないほどに親切丁寧なのだ。
まったく身をもってそれを実感するばかりだ。

もしも現実が、わたしを置き去りにしたまま、どんどん思い通りになってしまったとしたら...考えただけで怖ろしい!
なにも気づくことがなく、どんどん調子にのって「自分は実力がある、才能がある、選ばれし存在だ、えらいのだ!」などと思いはじめるかも知れない。そして虚栄心にしがみつき、失うこと、見透かされることを怖れて、他をけおとすようなことをするしかなくなるのだろう...ああ、それはあまりにもつらすぎる...!

現実よ、思い通りにならないでいてくれて、ほんとうにありがとう!
わたしを置き去りにしないでくれてありがとう!
つねにわたしの内側を忠実に映し出す、鏡でいてくれてありがとう!

「思い通りにならないといやだ」という反応も「思考パターン」なんだよね。
それから、楽、安全、安定を求める気持ちも。

「魂の望み」は別のところにある。
それを選んで生きていく以上の「しあわせ」はないと思うから、これからのわたしは不二子ちゃんの誘いには決してなびかない。

淋しくて怖がりな不二子ちゃんに、ほんとうの「しあわせ」をみせてあげようと思う。