LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

ここに在る奇跡 <228/365>

結局のところ、人って
今、目の前のことに、いい感じで集中して、バッチリ向き合って生きていたら、それだけでしあわせなんじゃないかなー。いきなり結論だけど。

最近ね、「これでいいのだろうか?」的なことを、心の中でよく確認していることに気づく。おお、典型的な思考の声じゃん!と思う。
新しい職場に移って半月、いちばんよかったと思うのは、自分の中にある、超プリミティブなパターンたちに改めて気づくことができることだ。右も左もわからない。不安。思い通りにいかない。新しく出会う人たち。慣れない環境だからこそ甦り、起動する感情、思考、行動のパターンがあるのだなーと思う。折角だし、真心込めて、丁寧に向き合おう。そして、自分のどまんなかにしっかりと繋がった選択を、創り、選んでいこう。そう思ったら、ようやく腹が決まった。落ち着いた。

わたしは弱虫だ。
だけど、弱虫だって命を燃やす。果敢に挑む。ひたすらに生きる。むしろ、それこそが「強さ」ではないかと気づく。あらゆる面で同じだと思う。穢れを知りつくす故の美しさ。有限の中の無限。そして、生粋のナマケモノが日記を書き続けることのミラクルよ!

そうして、この世界は二極が対を成し、そこからの表現はまさに無限大の多面体で、多次元に拡がり、その「表現」だけを見ていると、迷宮に迷い混む。
だけど、すべての「源」は今、ここに在る。自分のどまんなかのいちばん奥。移ろわず揺るぎない、ただひとつの確かなもの。それは「生命」そのものだ。脈打つ鼓動よりもはるかに力強い。
わたしはそれを感じると、この宇宙でたったひとつの「生命」が、のびのびと燃え盛り、あまつところなく現れ、充分にその表現をするための、優秀な手足となりたいと願う。わたしは自分自身の子分、しもべ、右腕、懐刀?でありたいなぁと思うのだった。

近すぎてみえない奇跡、それは今ここに「生命」が在ること。
自分で認識してる「自分」とは、「生命」の現れの、ほーーんの一部に過ぎないということ。