LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「狭き門」のその先へ <229/365>

ほんの少し日が長くなってきたね。
まだまだ寒いけれど、暮れゆく街の風景が好きだ。そう、わたしは朝陽と夕陽を浴びる街を歩くのが大好きで、それが朝型の生活を選ぶ動機のひとつになっている。

息子はこれが真逆らしく…
深夜の東京が好きで、夜の街をパトロールするみたいに生活している。

コロナ禍の今は、わたしが仕事から帰って、日記を書いたり、夕食の仕込みをしていると、息子はビールを2本買って帰宅する。それが大体20時くらい。(彼は完全にフリーの仕事をしているのに、無駄に規則正しい。野良猫のように自らのルーティーンを生きている感じ)
そこから2時間くらい、料理しながら息子と飲むのがわたしの日課になった。コロナ禍がくれた思いがけないプレゼントである。

こういう、当たり前のようで
ちょっぴりめんどくさくて
夏休みの終盤みたいに切ない…
そんなひとときのかけがえのなさを、わたしは痛いほどに知っている。

諸行無常であるゆえの、かけがえのない「今」。
ほんとうの意味でそこに目覚めることは、非常に強烈なことだと思う。
自分を中心として世界がぐるっと一転するような感じ。なにもかもが変わるしかない。いや、正確にいうと、今までみたり、聞いたり、信じてきたほとんどが「まぼろし」だったと気づいてしまうのだ。だから変わるしかないの。

そして、そこからの変化は自分で起こしていくのだ。これがポイントだ。コツコツと。地味ーーな努力と試練の一本道が続く。

スピ系の本に書いてあるような「悟りを開いたら、一瞬にして人生も世界も一変しました!」みたいなドラマチックなものではない。この段階で変わるのは「精神」だけだから、そのままにルンルンー♪と飛躍しようとすると、現実、人生、人として生まれてきた意味やテーマを置き去りにする場合が多いと思う。もちろん、それでいい人もいるとは思うけれど、わたしは「人としてどうか」というところ、そして、現実、人生を伴って変わりたい。
なぜなら、先ほど「自分を中心として世界がぐるっと一転する感じ」と書いた。その感覚は、「自分」は「世界」(現実、人生)と繋がっていて、起点であるということ…自分が現実、人生を創ることができる…ていうか、今まさに創っている!?という真実に目覚めるには充分過ぎるから。

わたしの場合、大きな精神的な目覚めの後、「さぁ、本番がはじまりましたよ!ここからが真の鍛錬ですね、超キツイけど…もっちろん大丈夫っすよね?!あはははー☆」(By心の中のガイド(想像))みたいな感じであった。
ちなみに、ここでは「大丈夫です!もちろん!どんなに大変でもやります、あははー☆」以外の回答はない。
狭き門をくぐったら、もう、もとのところには戻れないのだ。