LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

自作自演の「人生」という舞台で <175/365>

あと1週間くらいで、日記の毎日更新を始めておよそ半年くらいになる。
かれこれ1年の半分も、わたしは雨にも負けず風にも負けず、ナマケ心や眠さにも負けずに毎日欠かさずに書いてきたということになるけれど…ふと我に返ると、今も信じられないような気持ちだ。人って、ほんとうにわからないものだと思う。ぜったいにできないと思っていたこと…それも何度やっても無理だったじゃん!みたいな実証済みの「ぜったい」であっても、こうしてくつがえるのだから、わかったもんじゃないぞ。すべては過去のお話だ。今に根ざして、ここまで生きてきたぜんぶを踏み台として、新しく挑戦すれば、悠々と越えられることはきっと山のようにある。わたしは自らそれを実証したいのだと思う。誰にも可能性を限定してほしくなんかない。歩んできたかけがえのない人生を否定してほしくない。ただ心からそう思う。

わたしはドラマでも映画でも、典型的なサクセスストーリーが好きだ。
どん底まで堕ちた主人公が、勇気をだして今の自分を受け入れて向き合い、そこから新生し、めっちゃがんばっていくような、ベタなストーリーが大好きだ。泣くところではないところで泣いてしまう。長澤まさみがガンジス河へ飛び込んでバタフライするドラマなどは、わたしが最も泣ける類いだ…くうぅーー!I Believe myself!

なんかわたしたちは、それぞれが好きなタイプのストーリーを、人生の中でわざわざ自作自演で展開し、その体験を楽しんでいるのかも知れないなーと思ったりする。

そう、結局は自分が「主人公」であってなんぼだろうと思う。
今日、鬼滅の刃の映画を観てきたけど、いちばん思ったのはそこだ。炭治郎、そして、大好きな猪之助に負けないくらいにわたしは、わたしの人生を他に目もくれないくらいにやる。生き抜く。鍛錬する。磨くぞ、やってやるぞ!みたいに思って帰ってきた。

憧れとか、推しとかいってんじゃねーぞ。誰かを駒みたいに使って、自分の人生をごまかしちゃいかん。
なぜ推すのか。その理由には、ほんとうは自分が生きたい人生のエッセンスが詰まっている。誰かを推したり、応援する前に、自分自身を神レベルで推せ。すべてを賭けて自分自身を応援しろ。話はそれからだ。

無限の可能性を生きてほしい。それはわたしのおせっかいでまやかしだ。密やかにわたしがそれを実証したらいいだけのこと…だけど、おまえら、自分みくびんなよ!!と、今日わたしは街で出会うみんなに対して思っていました。みんながかわゆくみえて、いとおしくて、たまらなかったのでごわす。その想いを形にあらわせるように、伝わるように、がんばります。しかと、生きてまいります。