LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

わたしという名の「サムシング」 <350/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で350日目。

目標達成まであと15日とか、すごいな。ここまで目前になると、すでにゴールした者の立ち位置からこれまでのプロセスを振り返ることもできちゃう。
どんなことであれ、わたしは自分で決めたことをコツコツと毎日継続できたことなどなかったのだよ。年単位で継続なんて夢のまた夢だと思っていたのだ。心底本気で。

「わたしってこういう人」という概念がガタガタと崩れ去るのは気持ちがいい。
とっても小さいことでいいのだ。「まさかこのわたしが?!」という体験の積み重ねが大きな壁を粉々にする。崩れるというよりも、本当は、始めから存在しなかったことに気づく。自分で自分にレッテルを貼って、制限していただけなのだよね。

わたしは三日坊主で、飽きっぽく、堪え性がない。ナマケモノで楽観主義で、地に足をつけて生きるのが苦手。特技は、逃げ足の早さと、言い訳の上手さと、現実逃避です。そんなレッテルを貼りまくっていた。

それがこの1年で、1枚剥がれ~2枚剥がれ~、もうわたしはわたしが何者なのか、さーーっぱりわからない。これからもわかる気がしないし、どうでもいいことだ。

自分にレッテルを貼ることのメリットは、たくさんあるけれど、主なところだと「わたしはこういう人間なのだから、できなくても仕方ないでしょう」と挑戦しないことを正当化できる。挑戦しなければ、負けることはない。失敗もない。「わたしは正しい」と思っていられるというものがある。
わたしはほんとーーうにこの「正しくなくちゃいけない」という思い込みが強かった!

だけど、わたしはこの1年で、まちがえることの楽しさと、負けることのできる豊かさを、身に沁みて知ってしまったからさ。もうそこには収まらないのだよ。
小さくなった靴を履き替えるみたいに。いや、靴はもう履かなくていい。ここからは裸足で歩いていこう。そんな感じ。

今となっては何者なのか、さーーっぱりわからない、わたしという名のサムシングを、今日も面白く観察しながら、ただ共に生きていくのであった。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com