「やりたいこと」がわからない時 <309/365>
※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で309日目。
仕事再開が決まってからというもの、何かの張りつめた糸が切れたかのような感覚がある。
ほっとしたような解放感、プラス、夢の中にいるようなぼんやり感。それらがミックスされた不思議な感覚…
ひと言で言い現すならボーゼン自失?とでもいうのだろうか?笑。
自分の内と外がグングン動いていくのを、ひたすらボーゼンと眺めている感じ。空っぽな感じで面白い。けれど文章を書くには向かない。向かないけど向かないままで、今日も書くのであーる。日々書き続けたいならどんな日にも書くのみだ。
こうして、いろんな時があるけれど、それでも変わらずに、毎日、成すべきことを成すことから生まれる「安定感」は、わたしにとってまだまだ未知の世界だ。
このままもっと先の領域を見たい。
コツコツと地道に生きること。
丁寧に暮らすこと。
自分を豊かにするために働くこと。
自分の在り方に責任をとっていくこと。
至極真っ当で、今までのわたしが逃げ回ってきたことばかりなのだけど、何を隠そう、それらがわたしの「いちばんやりたいこと」なのであーる。
全細胞が歓喜して、生きてる実感が全身に満ちていく。この充足感…このときめき…プライスレス。笑。
「自分がやりたいことがわからない」という人は割と多くいると思う。うん、その気持ち、痛いほどによくわかるぞ。
「やりたいこと」に対する世間一般のイメージは狭すぎるよね。
「絵を書きたい!」とか「資格をとって転職したい!」とか「外国に行きたい!」みたいなキラキラしてて、今の現実と距離があって、生産性があるものに限定されているように思う。
だけど、たぶん多くの人が蓋をしているのは「自分がいちばんやりたいこと」は「今やってることなのでは?」ということだと思う。
今、目の前にある現実、やるべくやっている日常のすべてに対して『本気になりたい』『全力を尽くしたい』『全責任を負える自分になりたい』というのが本音で、本命、本望だったりするのではないかな。
往々にして、いちばーん避けたいところに、宝物は隠されていたりする。
ユリ:yurixlovemax@gmail.com