LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「感情」とわたしのディスタンス <299/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で299日目。


200日代最後の日記。
うん、まだまだ。
お楽しみはこれからだ。
書き続けることの面白さが、ようやく少しわかってきたところ。わたしたちこれからいいところ。笑。(Byピンクレディ)


さあ、今日は「感情」とのちょうどよい距離感、どうやって「距離」をとるかについて書いてみたいと思う。

昨今のコロナパニックで、わたしたちは「ソーシャル・ディスタンス」なるものを定義され、それは驚くべき早さで常識となって身についていったよね。マスクもそうだけど。

それと等しく、意識してやり続けて身につけてしまうと、とっても便利なのが「感情」とのディスタンスである。

そう。前もってお伝えしておきたいのは「ディスタンス」といわれる度に、あなたの心の中には、きっとあの名曲がまざまざと蘇っていることだろう…
でも、どうか安心してほしい。ちゃんと下にリンクを貼っておく。後ほどごゆるりとご堪能あれ。笑。


よし。気がすんだので本題にはいろう。

人と距離もそうだけど「距離」をとるために、いちばん最初に必要なのは「現状の認知」だよね。

たとえばスーパーのレジで「おじさんが先に並んでるな」と気づくから「距離」がとれるように。「感情」の場合も「わたし、えらい不安がってるな」などと、今の自分の状態に気づくことが必要だ。

この第一段階ができると、実はもう「距離」を取れてることがわかるはず。

自分を外からみる観点。
今の自分の状態を、嘘、偽りなくそのままみれること。

これを意識的にやっていくうちに「ちょうどいい距離」がわかってくる。そのうちに考えなくてもできるようになる。なぜなら「ちょうどいい距離」は、一度体験してしまったら最後、やみつきになるくらい居心地いいからだ。

わたしたちの<哺乳類脳>と言われるパートは「快」と「不快」を選り好みするようにできている。その上、繰り返し訓練することで、無意識に行動と結びつくようになる。らしい。

そう、こういうことって、筋トレみたいに日々コツコツと練習して、繰り返して習得するものなのだよね。
時間と努力が必要だけど、身に付けば「感情」に巻き込れづらくなるし、巻き込まれても、すぐに自力で戻れるようになる。

それは予想以上に、気楽なことだ。
「感情」は自分ではない。自分の一部でもない。それがよくわかると身軽だ。
感情に動かされないって自由だ。
どんな感情が現れても、わたしはわたしが成したいことをやっていく。

やがて、去っていく「感情」よりも、永遠に去ることのない、青空みたいな自分と、わたしは生きていたいもの。


ポイントは、どこまでもどこまでも、正直になることだと思う。
自分に嘘をつかないこと。
すべての「感情」は事実だから、そこにはジャッジの入り込む隙はないの。
今、不安を感じているなら、不安を感じているというのは「事実」だ。空が青く見えるなら、青く見えたことは「事実」。そのままを認めよう。

「思考」を介入させないことだ。
「思考」の言い訳は聞かない。
今ここで、起こっていることそのままを「認知」すること。鏡に映すようにね。


ユリ:yurixlovemax@gmail.com

では、お約束のやつ。笑。

Hoshizorano Distance 2020.8.25 46th THE ALFEE (Social distancing versions of “Under the Starry Sky”) - YouTube