すべては「ジャストライト」(ちょうどいい) <308/365>
※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で308日目。
春につぼみがゆるみはじめるみたいに、自然に始動していく。
これまでの人生でわたしは何度もそうやって、新しいスタートラインに立ち、何度も歩みはじめたことがあった。
何も特別なことではない。
繰り返す。螺旋階段みたいにクルクルと同じ景色を何度も眺め、同じような感覚、気持ちを味わった。
永遠に続くように思えるこのスパイラルにも、いつか終わりを迎えるのだけど。
それよりなにより、今のわたし。
ようやく今までのスパイラルをクリアに見渡すことができるようになってきたみたいでうれしい。
過去のプロセスすべてが、今のわたしに繋がっていること。
がんばって生き抜いたその時々の自分や、出会い関わった人、出来事のぜんぶに育てられ、支えられて、今のわたしがいる。そのパワーは生きるほどに大きく強くなっていくのだ。
生きるってすごいことだ。
年をとるってよいものだ。
自分自身をどこまでも現実的にみるならば、今のわたしは世の中的なスキルも何もなく、一般社会への適応が難しく、浮き世離れしていて頭の中はお花畑で…まー、限りなく生産性のない中年女性なのだけど。笑。
それでも、今の、このわたしになるために、果てしないスパイラルを生き抜いてきてほんとうはよかったと思うし、そう思えることが、何よりもうれしい。
何者かにならなくてはいけない。
もっと素晴らしい自分になっていかなくてはならない。
あとは、なにがあるかな…
人に認められなくてはならない。
人よりも上に行かなくてはならない。
人のために何かをしなくては。
人から必要とされなくては。
愛されなくては。
そのゲームには、いつも自分以外の「誰か」が存在していて、わたしの場合の「誰か」は両親だった。
とはいえ父はもうとっくに亡くなっていたし、母も老いているというのに認められたくて愛されたくて…
自分は正しかったのだと、証明しなくちゃいけないと思っていたのだよなぁ。「勝者」にならなくてはと。
戦わなくても生きてていい。
それが心底わかるまで、わたしには長い時間が必要で、波乱万丈なプロセスのひとつひとつが必要だったのだなぁと思った。
多くも少なくも、長くも短くもなく「ジャストライト」であったのだと。
きっとそれぞれの人生には、それぞれの「ジャストライト」(丁度よさ)があって、人と比べても意味がない。
無数の「ジャストライト」同士が織りなしているこの世界で、どれだけ思うままに遊んでも「ジャストライト」しか生まれないのだ。なんの心配もいらないではないか!
ユリ:yurixlovemax@gmail.com