LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

その「現実」を創ったのは誰か <306/365>

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※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で306日目。


今日は頚を寝違えてしまったようで…(笑)、それだけでなんとなく調子が出ない。
体が精神に与えている影響の大きさは相当なものだなぁと思い知る。ちょっと寝違えただけなの。頚が痛いだけなのよぉ。。

さすれど、どんな体調でも、どんな状態でも、その時々のベストを尽くすのみだ。
体や心の状態を無視したり、無理をしすぎるのはちがうけれど、状態のせいにするのはますますちがうと思うのだった。

この「ちがう」というのは正誤ではなく、自分にとって「しっくりくる」かどうかだ。そして「しっくりくる」のは、自分自身がちゃんと自分の「主」(あるじ)として、君臨しているときなのだと思う。

どんな状態の自分でも背負っていく。自分の足で歩く。どんな状況でも一切の責任を自分で負っていく。その覚悟ができているときなのだろう。

人は無意識に、目の前にある現実や状況を何かのせいにしている。
自分以外の誰かのせい。世の中のせい。もしくはダメな自分のせい。
意識してみつめていないとすぐにそうなりがちだ。これはもうきっと、そういうふうにできているのだと思う。もしくはそういう癖が骨身に染み付いているのだろう。

何かのせいにしている、そのアドバンテージを自分に戻すことは、一見すると大変そうだけど、それは本来の自分のパワーを取り戻すことでもある。

ほんとうのわたしは、何かや誰かのせいで望んでもない方向に流されてしまうような薄っぺらな存在でもないし、非力でもない。
人はみんな自分の世界の創造主なのだとわたしは思う。

つねにつねに、どんな動機で何をしたか、その結果が今ここにある現実に反映されてくだけ。
宇宙の法則はあまりにも厳密だ。

「送ったものがかえってくる」
現実のすべてが、時差のある鏡のように自分自身を映す。
「だからよき行いをしましょう」的なことで終わらせたらほんとうはもったいなくって、その奥にとっておきのギフトがあるとわたしは思う。

自分がいちばん知りたくない、見たくない部分。恥ずかしい部分。恥部の中にこそ王道があるということ。
それを知り、受け入れ、合体したなら最強にしあわせになっていけるもの。
大切だからこそ遠ざけて目を背けている。そう、直隠しにしているその恥部こそが宝箱の鍵だ。

現実はそれをありのままに映す。
だから目を背けたくなるし、何かのせいにせずにはいられないのだろうと思う。

だけど、その現実、生んでいるのは自分自身だ。もう降参して、すべて引き受けてしまえばいい。
責任のぜんぶを追い、自分の力を取り戻してみようではないか。鍵を手に次の扉を開いてみよう。

わたしたちはどれほどパワフルで、どれほど勇敢で温かいか、人生はそれを想い出すための旅路だ。
目の前にある現実をどうみようと、魂の目線でみたときすべてはよきこと。すべてはよき人生なのであーる。無問題。

ユリ:yurixlovemax@gmail.com