LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

卒業、そして、はじまりへ <287/365>

春うらら。
こんな日は、Hatena Blogのお題「〇〇からの卒業」という、春にぴったりのテーマに乗ってみようではないか!そうしよう!

春=卒業。
それは日本固有のスタイルだけど、なんだかよいよね。桜が咲くからだろうか。

桜には、終わりとはじまりを繋ぐに相応しい、儚く、美しく、希望に満ちた「強さ」がある。

「強さ」とは「潔さ」だ。
惜しみなく咲き誇り、惜しみなく散る。その見事さに憧れ、勇気づけられる。

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わたしが最近「卒業」したものは何だろう。毎日日記を書くことで「三日坊主」を卒業したのだろうか?…いやいや、その要素は、たぶんずっとわたしの中にある。戻ろうと思えば、いつだって戻れるぞ…

わたしが「卒業」したものの正体は、ひと言でいうなら、ズバリ、「逃げること」です。今ここにある現実、ここにいる自分から、逃げ回ることから、前後裁断、きっぱりと足を洗ったのです。

それと同時に「自己否定」ともスッパリお別れすることになりました。「自分はダメだ」という、あいつです。

わたしと「自己否定」との付き合いは、それはそれは長く、「わたしといえば自己否定、自己否定といえばわたし」というほどに、切っては切れない仲でありました。なにしろ50年近くも、毎日いつも、たえることなく「お前はダメだ!」と自分自身に向かって、言い続けてきたのですから…

思えばあれですね、自作自演ですよね。なーんにもないところに、一生懸命に苦しみとか、悩みとか、問題をつくり出していたのは自分。それにまんまと嵌まっているのも自分です。

そして、「自己否定」のすごいところは、「自己否定するのはやめよう!」というふうに、「否定」で抑え込むことで、パワーアップするところでしょうね。「否定」を栄養として、分身の術や、隠れ身の術などの多彩なスキルを身に付け、手に負えないようなボスキャラに育ちます。

だけどね、「自己否定」って、「逃げ」とセットじゃないと機能しないのですよ。
今の現実、今の自分から一歩も逃げずに、「すべて引き受けようじゃないか!」と腹をくくってしまうと、自分がダメかどうかなど、もう問題じゃなくなります。ダメならダメでもよくって、そのままの自分をしあわせにすべく、育むべく、共に歩んでいこう!と思えてくるのです。
「自己否定」は「そっか、それもそうだね!」的な反応をされると、なすすべもないのですね。「うんうん、おっしゃる通り。わたしダメだし、とんでもない未熟ものでございますし、ダメな未熟者としてこっから励みますわ。なに?「どうせ無理」と?おっしゃる通りですわ。できるところまで励んでみますわ」みたいな。

「自己否定」でもなければ「自己肯定」でもない。そのどまんなか、『今ここ』に立ったことは、わたしにとって、新しい人生の門出でありました。


かなり、テーマからそれてしまいましたが…わたしたちは生きている間に、何度だってなにかを卒業し、真新しい自分として歩むことができる。毎日だって。何歳になったって。