LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

夜明け前② <251/365>

今日はいきなりの本題。
昨日のお話しの続きです。

わたしが自分自身にたいして、どれだけ冷酷非道であったか…

たとえば、失恋して悲しいとき、「そんなことで悲しむなんて、なんというレベルの低さ!ほんとうにおまえはダメなやつだな。だから幸せな恋愛ができないんだ」と返ってくる。新しい夢や希望を描くとき、「どうせ無理だよ。だっておまえ、今まで何をやってもダメだったじゃん」と返ってくる。
その見事なテンポ感は、阿吽の呼吸のよう。

これが、無意識のうちに行われて、まーったく自覚なかった。生きづらいわけだよねー。なので、そこに気づけたことは、人生の中でもトップクラスに「よかったなー」と思うことです。苦しさも、トップクラスだったけど。まさに、どん底という感じで。

わたしの中に、冷酷極まりないヒトラーがいるなんて…耐えられない!消さなくては!止めなくては!どうにかしなくては!
壮絶な「苦しみ」から逃れるにはそれしかない!と思っていたのだけど…
ヒトラーをジャッジすると、それを裁くためのさらなるヒトラーを生み出してしまう。まさに本末転倒。
自分はダメだ!<いや、自分はダメだなんて思っちゃダメだ!<いやいや、自分はダメだなんて思っちゃダメだなんて思っちゃダメ…略。

この自分内バトルって、みているしかないのですよね。
距離をおいて、静かに、客観的に。

さらっと書いたけど、それは最終的な着地点で、その「みていること」ができるようになるまでが、超大変なのですよね。たくさんの時間をかけて、反復しながら、少しずつ少しずつ身に付いていくしかない。
苦しいなら、苦しみのどまんなかに飛び込んで、その中でただじっとすること。

ヒトラーヒトラーのままでいい。
支配的で、超怖がりで、自己中で、強烈だけど、そのままでいい。
それと、わたしが生きていることは、ぜーんぜん別のことだから。
ヒトラーはわたしのハードルだ。
そこを超えること、体験して、包容することで、大きくなる。深くなる。

今ここで感じている、揺るぎないしあわせも、生きることのよろこびも、ヒトラーと「苦しみ」のおかげだと思う。
わたしの体験、感じ方は偏りがあるけれど、それでもはっきり言おう。「苦しみ」って大変だけど、いいものだぜ!
どまんなかにはしあわせのゲートがあるのだよ。もしも苦しんでいる誰かに、その片鱗が伝わったらいいなぁ、と思った。
安心して苦しんで大丈夫!