LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

どんなわたしも決して見捨てない <78/365>

義母ようやくの退院日。
気づかないうちにはりつめていたものが、ゆるゆると溶けた感じがした。
東京のどまんなか、義母の家のお気に入りのベランダで東京タワーを見ながら煙草を吸う。

そういえば10代の頃から、煮詰まるとよく高いところに昇ったことを想い出す。
10階建てのマンションの踊り場とか、サンシャイン60の最上階ラウンジとか、それから深夜の西新宿のビル群を見るのが好きだった。

わたしは自然のない街で生まれ育ったからね、圧倒されるような生命の力を感じるのは東京という街の「栄」だったんだろうね。ひたすらに、この国を、この街を、そこに住む人々を誇り、その繁栄に力を投じた人たちの壮大なパワーを感じると、わたしの胸は熱く高まる。プリミティブな元気と勇気がどんどん湧いてくる。

どんなに愚か極まりない大失敗をやらかそうとも、わたしは決してわたし自身を見捨てたりはしない。
もうダメだと思うことも、すべてを投げ出してしまいたいと思うことも、
わたしという1人の人間がもつ「生命力」の前では、ノミにも塵にもバクテリアにも満たない。キュートなくらい小さきものである。だけど、どんなに小さき一粒であっても「自己否定感」は、本来の「生命力」を覆い隠してしまう。いつもいつでも近すぎるくらいにそこにあるのに、すっかり見失ったような状態になる。すごいことだなー!

ノミほどの小さき一粒に、こんなにも翻弄されるわたしよ。
それが「生きること」の醍醐味なのかも知れないね。
どんなに小さくても、存在感ゼロで、無味無臭であったとしても、気づいていこう。見つめていこう。限りなく寄り添い、この胸に抱いて生きていくのだ。時間がかかってもそれをやっていこうと思った。

そして、大失敗に対しての悔しさと、後悔と、失意、そして、自分自身をふくむ、多くの人たちへの「ごめんなさい」の気持ちと、奥にある真心は、言葉ではなく行動で現そうと思う。すっかりと腹が据わり、地に足が着いた。

明日から6日間の自宅待機がはじまるし、落としこめたところから日記に記録しようと思う。