LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

大いなる創造の中、全力で遊べ! <79/365>

人にはそれぞれ、その人が創り、生きている「世界」があって、それが幾重にも重なり合い、響き合い、みんなで全体を創っているとわたしは思っている。
人生の中で、何を体験しようと目論んでいるかはまったくもってそれぞれだと思うし、それこそがなによりもうれしいことなのだと思う。この宇宙、世界の全体を生み出した神様の計り知れない愛を思う。それぞれに無限の自由をたくして、無限の豊かさが表現されつづける。そして、このうえなく美しい彩りがほとばしり、どこまでも拡大していく。

「神は大いなる愛と歓びとをもって創造を行い、それを通して自分自身を表現しようという願望を抱いた」
この宇宙のはじまりについて「アセンション・マニュアル」を書いてジョシュア博士はそんなふうに書いていた。

わたしがふつうにそんな感覚をもつようになったのは、ここ最近のことだ。
それまでは、生まれ育ったプロセスの中であたり前のように採用してきた価値観があった。オギャーと生まれたその日から、みんな同じスタートラインを出発して、得て不得手はありながらも、何かの分野で人よりも秀でた才能を発揮して、みんなの役に立ち、多くの人に必要とされ、認められるようにならなければ「敗北」であるような感覚だ。

生まれてきたからには、自分が持っているオリジナリティーをガッツリと生かして、いつか「何者か」にならなくちゃいけいないと思っていた。ていうか、過去形じゃないよね。今「自分が成し得たもの」として日常を取り囲んでいるものたちが、自分の失敗とか不本意な理由で次々となくなってしまうとしたら、ものすごーーくグラグラする。自分を責めたくもなるし、怖くて、不安で、心もとないところから他の人と比べて「ほーら!やっぱりおまえはダメダメじゃんか!」とも言いたくなるだろう。「未熟者ちゃん健在かつ、フォエバーだと思われ。

人様と自分を比較したくなるときっていうのは、
ある意味、人様を利用して自分の不安材料や安心材料を探したいというような、自分にも人にもリスペクトを欠いている状態なんだなぁと気づいた。あとは「いつか死ぬ」という現実を忘れているときだと思う。
自分とそれ以外の人たちの共通点なんて、「いつか死ぬ」ということと、「全体の一部である」ということ、成分は愛とよろこび100%というくらいだろうに。

そうそう、わたしはながいこと、みんながあたり前のようにできていること...毎日学校へ行くとか仕事へ行くとか。納得がいかない状況にも反抗せずに、受け入れ耐えてみること。やると決めたことはやり通し成しとげること。地道な努力を積み重ねること...そういうことができない自分を、わたしはまじで「人間失格」と思っていた。

【継続】【忍耐】【責任をもつこと】
この日記をはじめるにあたって、ずっと「自分には無理だ...畏れ多きことだ...」とあきらめていた分野について「ほんとうに無理なのだろうか?」と思うようになって、純粋に挑戦したいと思ったのだ。ふつうはできてあたり前な事柄に、あえて挑むわたしをどうか笑ってほしい。何ならわたし自身も、子どもみたいに一生懸命で、日記は継続できているけど、それ以外は失敗ばかりで、くううう...と悔し泣きしてみたり、たまに手ごたえがあればガッツポーズを決めてみたり、そんな自分を漫画のキャラみたいに面白がって眺めている。

思う存分やれ、やってみろ、自分よ!!
今日はあらためて、自分自身にそれを伝えたいと思った。
かけがえのない<今>を、懸命だったり、ふざけたり、泣いたり笑ったりしながら、思いっきり遊べよ。
自分以外の何者かもならんでよいのだよ。