LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

燃え上がり、燃え尽き、新生せよ <17/365>

今日は1日、強烈なつかれと眠気を感じながら過ごしていた。
不思議なもので、つかれ果てているときでも「いかんいかん!なんとか元気を出さなくては!」などと余計なことを考えなければ、心軽やかに、意外にも何でもできる。たとえ、米粒ほどの気力や体力しか残っていないと思えても、<今この一瞬>に集中して、残り一粒を惜しみなく投じれば、次の一粒が現れるのだ。あら不思議!これって手品かなにかなのか...ていうか、こういうからくりなんだなーと思う。わたしはこれまで、いつもどこかで、先のために力をたくわえておこうという「考え」があったことに気づく。
そう、わたしを動かすのは「考え」ではない。いつももっと「中心」にある、強く、確かな「衝動」だ。

客観的にみても、わたしは、現実を生き抜くための、体力とか気力とか集中力とか精神力とか...「力」と名がつくあらゆるすべてがことごとく弱いと思う。これまでまったく使ってこなかったからだ。筋肉と同じように、それらは使ってこそ鍛えられるのだろう。
だけど、米粒ほどの「体力」を<今この一瞬>というピンポイントで使い切ること。その連続はありあまる「体力」をはるかに上回るのではないか!と思った。

「使い切る」ということは<今>にすべてを尽くすことだと思う。
空っぽになることを怖れないとき、「<未来>よりも<今>こそが、自分にとって価値がある」と行動であらわしていることになるのではないか。

<未来>の目標に向って、<今>コツコツと積み重ねていくプロセスは、そのすべてがあまりにも幸せだ。
だけど「今日よりも明日がいい日でありますように」みたいな考え方は、今日に対して失礼じゃないか!と思うのだ。

<今>ここで、燃え尽きるまで燃え上がり、空っぽになるまで「自分」を使いつくせ!
永遠の命をもつといわれる「火の鳥」が、自らの身体を炎に投じ、燃え尽きることで新生するように。

自らの命をたえず燃やして人は生きている。
いつか燃え尽きてこの人生の終わりがくるのだ。
その事実から目をそらさずに、向き合うことで、さらに熱く、燃え上がるのだ!

これを書きながら、わたしの中の「リミッター」がガタガタと音を立ててその存在を知らせている。
自らがつくりあげたすべての制限の弱点は「<今>だけに生きる」という在り方なんだろう。
わたしたちのほんとうの力は、まだまだ、まだまだ!こんなものではないのだと思う。