LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

透明な目 <285/365>

辻仁成(作家、元ECHOES)の日記に「人は自信が持てる時と、持てない時を周期的に繰り返す」というようなことが書かれていた。それは何歳になっても変わらない。そして、今、自分は自信が持てない時期だと。還暦を過ぎてそういうことがいえるって、超、超カッコイイとわたしは思う。
叔父が「70才になって、俺は自分の性格がサッパリわからなくなった」と言っていた時にもグッと来た。

そうそう、そうなのだよ。
自信があったり、なかったり。自分の正体かわかったり、わからなかったり。できたり、できなかったり。なんだかいい調子だったり、ダメダメだったり。そういう二極はなくならないのだよね。

人はどこかで、そこから「上がる」ことを望んでいるような気がする。いつか、揺るぎない自信をもち、絶え間なく上々で、我が人生に悔いなし!と心から言えるような、「いい自分」「いい人生」「いい環境」にたどり着き、ゴールすることを夢想しているのではないだろうか。わたしはそうだったなぁ。

だけど、ほんとうのゴールはそこではなく、二極のどちらも、あるがまま、平等に抱ける境地なのだと思った。
「自信があってもなくても、どっちでもいい」という感覚。自信は、あったりなかったり、どんどん変わっていくものだから、あまり重要ではないな、と気づいているような感覚。

すべてを見据え、許容し、果てしなく広がる青空こそが、自分だ。自分の中に、雲がどんなふうに流れて、どんな形をつくろうとも、やがては去るもの。嵐も風も、雲ひとつない穏やかな日も、いづれ移ろう。ならば、すべてを悠々と眺めて、楽しみたいと思う。

それは、日記の毎日更新に挑戦する中で学んだことでもあるなぁと思った。いい日もダメな日も、書きたいことがある日もない日も、わたしにとっては、等しく大切な挑戦なのだよ。気分も、テンションも、コンディションもその日によってちがう。ただ貫くものは「今日も書く」という行為だけだ。どんな記事でも、わたしにとっては無駄じゃないのだ。ひとつでも欠けたら<365/365>を迎える日はこないのだもの!

そーんなに自分を見張らなくていいよね。
自分と向き合うことは、ジャッジメントではない。何が起こっても、揺るぎなく全容を見渡せる、透明な目を育てていくことだと思う。