LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

遠く離れてみてごらん <255/365>

今日は2021年版・手前味噌作りの2回目の日。今年は白米麹と麦麹、二種類を作って、さらに、その合わせ味噌も堪能しようという。贅沢な味噌三昧に向けての目論みなのだった。ふふふ、出来上がりが楽しみ。10ヶ月以上も寝かせて、熟成させることの面白さよ。時間をかけること、待つことのよろこびよ。そんなことが解るようになるとは、我ながら大人になったものだと、自分で自分に感心するとのしあわせよ。
こうして少しずつ変化すること、年齢や、環境、時代に応じて変わっていく自分に気づくとき、なんとも健気でいとおしいと思う。

この日記を読んでくれているみなさんは、自分自身を他人のように、「距離」を置いてみることがありますでしょうか。
どっぷりと「自分自身」をやっているとみえてこないことがあるのです。灯台もと暗し。近すぎて見えないというのはよくあることで。
ほんとうの「自分自身」とは、あなたの予想を遥かにこえるほど、自由で、大きくて、強い。無限の可能性に満ちた存在なのかも知れません。

自分が知っているはずの「自分自身」でいようとする、そのコントロールを緩めて、サクッと、距離を置いてみることが、案外多くの人にとって、自分との関係を風通しよくするヒントになるのでは、そんなことを思ったのでした。

「自分と向き合うこと」が大切だと、あらゆる人が言っているし、本にも書かれている。でも、やってみるとなかなかにキツくはないですか?わたしはそうでした。
煮詰まったら「距離をとる」これは、なかなかその手の本にも書かれていないように思いました。

1人の人としての自分。
ドラマを観るような観点。
時には、母や、恋人、身内のような目線で、自分を眺める。

さらに遠ざかって…
体をもたない意識体(たとえば、亡くなったおじいちゃんとか)として、生きている自分をみる。
地球外意識のつもりで、地球人としての自分をみる。
神様になったつもりで、自らの創造物としての自分をみる。

わたしは、こんなふうに、自由に、あらゆる観点で自分と向き合うことが好きです。一見馬鹿馬鹿しく思えるかも知れないけど、そのどれもが真実で、新鮮なドキドキの中で、新たな自分を知ったりします。ドキドキ、ラブラブです。面白いです。

そして、いろいろなスケールの観点や、別の立場の人の観点を使ってみることは、想像力のエクササイズになるのだと思います。あら、不思議!これがあらゆる出来事にも、自然に応用できるようになっていきくのですよ。なんてエキサイティング!超面白いです!

自分が思っている自分を、自分だと思って、ジーッと見つめて、一喜一憂していませんか。わたしはしていました。
だけどそれって、「ほんとうの自分」ではないんですよね。ある局面から、ほんの一面をみていて、全体だと思ってしまう。近すぎです。拡大鏡で毛穴を見て「ああ、わたしって月面みたい…」と思っているようなもの。他者の方が、ほんとうのあなたの美しさを、ちゃーんと見てくれているかも知れません。

ごらん、美しく、優しいこの世界を。
その一部である、自分自身を。