LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「自分」という幻想 <246/365>

いつもわたしは、自分の『お気に入り』の観点、感覚のことを日記に書いています。

それは単純に、今、この感覚が大好きで、面白くてたまらずに、今日はそこから何を感じたか、何が見えたかを、人目もはばからずに、ひたすらに書いてしまっているのでした。

なので、ここに書いている「感覚」は、すべて今のわたしの個人的な趣味趣向だと思っています。
正しいとか、真実だとか、他者へのお勧めなどではなく、偏りのある、とんでもなくマニアな記録だという自覚があります。確信犯的な自己満足です。汗。

今よりももっと、たくさんの思い込みや、気分に振り回されていた頃は、自分の「お気に入りの感覚」を、洋服みたいに、自由に選ぶことができるなんて…想像もしませんでした。

「感覚」などというのは、持って生まれてしまった自分の個性で、自分の一部、もしくは、ぜんぶ、くらいに思っていたのです。
洋服を着てるとこに気づかなければ、好きな服を選べないのですよね。それと同じ。
「まじか、これ脱げるの?古くなるの?着替えられるの?…まさか、自分で選べたりしちゃうの?!」
ほんとうにそんな感じで、どんどん自由に、気楽になると、「ならば、こんな服も着てみちゃう?」的なアドベンチャー要素があらわれてくるのが、面白いです。「自分らしさ」すら縛りなのだと気づきました。

そして、そのプロセスでは、「そんなら服を着てるのは、誰なのよ?!」という、核心的なところに直面するしかなく。

裸の自分。
それを探っていく作業が不可欠です。しかし、タマネギの皮を剥くみたいにまだまだ脱げちゃう。どこまでいっても「まだ着てたじゃん!」と思う。このままどこまでも脱いでいくと、しまいには「自分」なんてどこにもなかった、というオチかも知れない。最近、そんなことを思います。

そうなの。「自分らしさ」という縛りを明け渡した先には、大いなるジャイアリズムが垣間見えます。お前のものは俺のもの!!!あらゆる人の「その人らしさ」はわたしのもの!!!

ああ、その感覚を生きてみたい!!今日もマニアの血が騒ぐのでした。

なぜか、ですます調。笑。