LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

この上なく「正直」になる <238/365>

そういえば、緊急事態宣言下の東京。わたしにとっては「そういえば」という感じで、イレギュラーなイベントが発生しない日常を、たんたんとマイペースに生きることにすっかりと慣れてしまった。ぬくぬくと、元気いっぱい、平穏な日々である。

それでも今が苦しいと感じている人は、わたしの回りにも確かにいて。あ、生活面ではなく精神的にね。それは、男の人が多く。バリバリと外に出て、いろいろな人と出会い、自分を生かして、人生を謳歌したいという望み。それを叶えられず我慢するが、ゴールが見えない苦しみ。そして、その間にも時間は過ぎていく、年をとることへの焦り。そんな話しを聞く。

都会に暮らす男の人の多くは、仕事以外に「自分の暮らし」を持たない人が多いのだよね。「暮らし」というのは、生きていくためのあれこれのこと。家事、育児、地域との繋がり、それに関連するよろこび、祈り、安定などなど。
わたしにも大いにその傾向があるのだけど、「仕事」には目的がある。お金のためとか、修行のためとか(←わたし)。そのために、全力疾走し、自分を抑えて耐えている。なので「仕事以外」に、オフ状態を設けたい。好きなことにだけ没頭してバランスをとりたい。コロナとかでそれを制限されたら…さらなる我慢なんて、もう無理なのだ。抑えた分の発散がなければ、バランスが崩れてしまう。

この危うきバランスゲームって、刺激的で没頭しやすいのだよね、と経験者(わたし笑)は語る。生きている実感がなくても、ロジカルな「やってる感」があるから。(金銭な安定=承認。大多数との同調=連帯意識)
社会のパワーゲームを体現して生きることは案外楽ちんだ。何も考えなくていい。そう、ほんとうに何も考えなくなる。いつもぼーんやりとした霧の中で、時間だけが、嘘みたいにビュンビュンと過ぎていく感じ。

「仕事」と「仕事以外」。
この二極の真ん中にある『中道』がたぶん、これからの時代の在り方なのだろう。刺激的なオン&オフから、つねに心地よく燃え続けていく在り方へ。

陰極まれば陽になる。
そして、二極を体験したからこそ、たどり着く『中道』がある。
『中道』は仏教用語だけど、キリストは同じことを『愛』と表現した。
そう、むずかしいことじゃない。生まれたときからずっと、共にある"それ"だよ。あたりまえ過ぎて、見えなくなったもの。何も引かない、何も足さない(By.ウイスキー山崎)、そのままの自分の意識、存在、命そのもの。何もかもやめたら、着地する"そこ"である。そこで生きたらいい。何もしなくても、何者にもならなくてよいのだよ。燦々と、ただ、自分自身であってよいのだ。

『今、生きている』
それ以外に確かなことなんてない。
過去は体(脳含む)の記憶にすぎないし、次の瞬間に死なない保障は誰にもない。『今、生きる』という以外に、目的も価値もなくていい。大切なのは、「今、どれほどに生きているか」だと思う。意識がすべてだ。

長々となったけど、いちばん書きたいことを最後に書きます。命燃えさかるままに…
「何もしていないと、自分には価値がない気がする」そんな脳みその呟きは、掻き消してしまうほど、濃厚に、全力で、生きようではないか。思いきり呼吸し、ごはんを味わい、愛する人の姿をみよう。もっともっと、全集中で。
言っとくけど、わたしたちはコロナの被害者なんかじゃないぞ。人間なめんな。自分を侮るな。禍だとか、世間が決めたことに踊らされるな。今、何を感じて、何を学ぶかは自分で決めようではないか。

今この瞬間、この上ないほど、正直になれ。ほかの誰でもなく、自分自身に向かって。