「気分次第で生きない」という選択 <96/365>
今日はスイッチがパチーンと切れたようになってしまった。
いろいろと書きたいことはあるんだけどなぁ...気持ちが向わない。眠い...ひたすらに眠いぞ...何もしたくない...それでも、がんばろう!と思った日。
「今に在る」ということをきちんとがんばらなくてはと思う。
ていうか、すごいなーー、このわたしが、まさかこんなことを思う日が来るなんて...!!
ほんとうに、人は変わる。
「わたしにはぜったい無理!」と強く思っていることほど、その思い込みの奥にあるものは、自分にとってのキーポイントだったりするのだと思う。
【継続】【忍耐】【責任をとること】、それから、さらにもっと強く「無理!」と思い込んでいた【努力】【がんばること】
その未踏の領域に一歩をふみだして、行動するようになって、とにかくわたしはすごーーく安心したのだった。おかしなことだけど、楽になった。その楽になり方は、右手と左手両方使っていいんじゃん!というような感覚だ。どんなことでも楽を選ばずに、努力することは大変なんだけど、ずっとやりたかったことを、今、満を持してやっている感がある。「ようやくやれたな!」というよろこびと、その先へ、日々ふみだしている実感がある。
よかったなぁ...!!
わたしは「気分」を自分自身だと思っていた。
自分を大切にするというのは「気分」のままに生きることだと思い込んでいたんだよ。
「何もしたくない...」という気分であれば「何もしない」以外の選択肢があるなんて、知りもしなかったんだ。
気分のままに、思い通りにさせてくれないすべてに対して、まー敵対心があったりして。
「気分のままに生きる」それは自分にふり回される日々だった。
「気分」は大切に積み上げたものを、ハリケーンみたいに自分で木端微塵にしてしまったりするから、努力とか、コツコツと積上げることなんて意味がなかったんだ。逃れることができない自分という存在と、その気分と、ともにあり、生きることだけで精一杯だったんだよね。
生きづらかったねー。よくぞ生き抜いてくれたな...!
ここからはわたしにはわたしがついている。
わたしのほんとうの願いを、ただ叶えるためにどこまでも努力するし、どこまでもがんばるわ!
そして相も変わらず、コロコロと変わる気分はそのままに、「今」何を選ぶかはわたしが決めていくよ。